コンテンツにスキップ

ガブリエル・ピエルネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピエルネから転送)
ガブリエル・ピエルネ
Gabriel Pierné
基本情報
生誕 1863年8月16日
フランスの旗 フランス帝国メス
死没 (1937-07-17) 1937年7月17日(73歳没)
フランスの旗 フランス共和国フィニステール県プルージャン英語版
職業 作曲家指揮者

アンリ・コンスタン・ガブリエル・ピエルネ(Henri Constant Gabriel Pierné, 1863年8月16日1937年7月17日)はフランス作曲家指揮者印象主義的な和声感覚と師のジュール・マスネを思わせる平明で甘美なロマン派的作風の両方が見られる。現在でも、代表作であるハープと管弦楽のための小協奏曲はハープの貴重なレパートリーとしてSP時代から今日にいたるまで録音され多くのCDが現在でも入手可能である。

コロンヌ管弦楽団の指揮者として、ドビュッシー(『イベリア』)やラヴェル(『ダフニスとクロエ』第1組曲)、ストラヴィンスキー(『火の鳥』)、ルーセルミヨーらの作品を多く初演した。コロンヌ管弦楽団を指揮した、シャブリエの狂詩曲「スペイン」やベルリオーズの劇的物語『ファウストの劫罰』から「妖精の踊り」などの録音が残されている。

略歴

[編集]
  • ペール・ラシェーズ墓地(区画 13)にあるアンリ・ブシャールによって作られたガブリエル・ピエルネの墓。
    ロレーヌ地方のメス(メッツ)に生まれる。父はメス音楽院の声楽科教師、母はピアノ教師という音楽一家であった。
  • 1880年、17歳のときパリ音楽院に入学。ジュール・マスネに作曲対位法を、セザール・フランクオルガンを師事。
  • 1882年、19歳でカンタータ『エディト』でローマ大賞を受賞。
  • 1890年にフランクが没すると、その後を継いで聖クロチルド教会のオルガニストとなる。
  • 記念碑、トゥルノン通り・パリ
    1903年、コロンヌ管弦楽団の副指揮者。
  • 1910年、コロンヌ管弦楽団の常任指揮者。1934年までこの地位にあった。
  • 1937年、フランス最西部フィニステール県プルジャンに没す。

代表的作品

[編集]

歌劇

[編集]
  • 戯れに恋はすまじ(1910年初演)ほか全8曲

バレエ音楽

[編集]

付随音楽

[編集]

管弦楽曲

[編集]
  • 『鉛の兵隊の行進曲』(ピアノ曲集「小さな友達のためのアルバム」組曲作品14第6曲 1887年)
  • 祝典序曲(1889年)
  • 宮廷バレエ(古い様式による踊り手のエール、1901年)
  • フランシスコ会の情景フランス語版』(1920年)
  • 牧歌風の主題によるディベルティスメント(1931年)

協奏曲

[編集]

室内楽曲

[編集]

器楽曲

[編集]
  • セレナード(ピアノ 1875年)
  • 間奏曲(ピアノ 1880年)
  • 15の小品(ピアノ 1883年)「無言歌」「おばあちゃんの歌」「幻燈」「葬送行進曲」「コケットリー」「前奏曲」「フーガ」「教会で」「活発なメヌエット」「石蹴り」「ブランコ」「かくれんぼ」「ワルツ」「アルバムの一葉」「タランテラ」
  • 即興的奇想曲 作品9(ハープ 1886年頃)
  • ピアノ曲集「小さな友達のためのアルバム」(第6曲「鉛の兵隊の行進曲」がとりわけ有名、管弦楽編曲でも親しまれている。1887年)
  • 3つの小品(オルガン 1893年)
  • 変奏曲(ピアノ 1918年)
  • パッサカリア 作品52(ピアノ 1932年)
  • 6つの小品フランス語版(ピアノ 1835年)

声楽曲

[編集]
  • カンタータ『エディト』(1882年)
  • オラトリオ『少年十字軍』(1902年)
  • オラトリオ『ベツレヘムの子どもたち』(1907年)

外部リンク

[編集]