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バグルス

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バグルス

1980年 デュオ体制時代(左ジェフ・ダウンズ、右奥トレヴァー・ホーン)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランドロンドン
ジャンル
活動期間
レーベル
メンバー トレヴァー・ホーン
旧メンバー

バグルスThe Buggles)は、イングランド出身の音楽ユニット。楽曲「ラジオ・スターの悲劇」のヒットで知られる、ニュー・ウェイヴ期の代表的グループ。

概要

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トリオ時代(1970年代 - 1979年)

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1970年代トレヴァー・ホーン(ベース)、ジェフ(ジェフリー)・ダウンズ(キーボード)、ブルース・ウーリー英語版(ギター)の3人は、イギリスのシンガー、ティナ・チャールズ英語版のバック・バンドとしてキャリアをスタートさせている。

1977年、ホーン、ダウンズ、ウーリーによりバグルスを結成。トレヴァー・ホーンは当初よりプロデューサー志向であり、3人で多くのCM関係の音楽を制作している。後にハリウッドで映画音楽作曲家として活躍するハンス・ジマーも裏方として参加しており、ホーンとジマーは後に映画『トイズ』で共作もしている。

以降、ウーリーは自身のグループ、ザ・カメラ・クラブ(Bruce Woolley & The Camera Club)に注力するため離脱。残ったホーン、ダウンズの二人はその後、メジャーレーベル アイランド・レコードとの契約にこぎ着けた。

デュオ体制期(1979年 - 1982年)

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1979年に、デビュー曲の「ラジオ・スターの悲劇Video Killed The Radio Star)」が全英1位の大ヒットを記録。初出はザ・カメラ・クラブのアルバム収録曲であったが(共作者のウーリーも権利を有するため)、バグルスのバージョンは秀逸に計算した音作りに仕上げ、ニュー・ウェイヴの時代を象徴する一曲となった。

ファースト・アルバム『ラジオ・スターの悲劇』(The Age of Plastic)発表後の1980年、ホーンとダウンズの2人はそろってイエスに加入する(バグルスはイエスと同じくブライアン・レーンのマネージメント・オフィスに所属していた関係があった)。ホーンがボーカル、ダウンズがキーボードを担当したイエスはアルバム『ドラマ』を発表し、欧米のツアーを行なった。しかし、従来のイエス・ファンからはボーカリストの交代が不評をもって迎えられ(ステージに登場したホーンに対してのかなりの罵声があったと言われている)、ツアー終了後にホーンが脱退し、イエスは解散状態になった[5]

1981年、2人は再びバグルスとしてセカンド・アルバム『モダン・レコーディングの冒険』を発表するが、まもなく活動を停止した。モダン・レコーディングの冒険を編集している頃は、ダウンズは既に制作から去ってエイジアの結成に参加しており、ホーン一人での作業だった。このため、当時、実質的にバグルスはホーンの個人バンドであったと認識されるに至っている。

その後、ホーンは売れっ子プロデューサーとして一時代を築き(後の再結成イエスのプロデュースも担当し「ロンリー・ハート」などのヒット曲を制作)、ZTTレコーズの設立にも名を連ねた。一方、ダウンズはエイジアの中心人物として活動を継続している[6]

その後

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楽曲「ラジオ・スターの悲劇」は、1981年8月1日にアメリカで開局したMTVが、記念すべき一曲目のミュージック・ビデオに採用。そのほか多くのアーティストによってカバーされた。2000年6月、ブロード・バンド(The Broad Band)によるパロディー音楽「ビデオ・スターの悲劇(Internet Killed The Video Star)」としてカバーされ、Shockwave.com英語版Flashアニメーションとして配信された。

2004年11月11日、ホーン、ダウンズ、ウーリーはウェンブリー・アリーナで行われたチャールズ皇太子信託基金(プリンス・トラスト)英語版のチャリティーコンサートに再びバグルスとして参加し、「ラジオ・スターの悲劇」他を演奏した。

2010年にホーンはバグルスの再結成を宣言し、9月28日、ロンドン郊外にあるThe Supperclub Londonにて、31年目にして初のフルライブ「The Lost Gig」が行われた(ダウンズ、ウーリーも参加)。この頃、3枚目のアルバム制作についても示唆されている。

2011年、イエスのアルバム『フライ・フロム・ヒア』に、ダウンズがメンバーとして参加し、ホーンがプロデュースを担当した。表題曲は2人がイエスに参加していた頃に作られた楽曲をベースに再構成されている。原曲のバグルス・ヴァージョンは2010年に発売された『モダン・レコーディングの冒険』再発CDにボーナストラックとして収録されている[7]。そして前年に続き、一夜限りの再結成ライブを10月25日に開催した。

その後はホーンがソロで名義を受け継ぎ、2023年にはシール (歌手)のツアーでバックバンドが協力してサポートアクトを務めた。

歴代メンバー

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(インディーズ時代、再結成のみ)

ディスコグラフィ

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アルバム

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発表年 タイトル(邦題) タイトル(原題) 最高順位(UK)
1980年 ラジオ・スターの悲劇
(かつての邦題は『プラスティックの中の未来』)
The Age of Plastic 27
1981年 モダン・レコーディングの冒険  Adventures In Modern Recording -

シングル

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曲目 音楽チャート最高位 アルバム




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1979 "Video Killed the Radio Star" 1 1 1 1 2 1 1 16 2 1 40 6 ラジオ・スターの悲劇
1980 "Living in the Plastic Age" 16 5 29 29
"Clean Clean" 38 60
"Elstree" 55
1981 "I Am a Camera" 46 モダン・レコーディングの冒険
"Adventures in Modern Recording (song)" 27
1982 "On TV"
"Lenny" 17
"Beatnik"
"—" チャート圏外

脚注

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出典

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  1. ^ a b c Ankeny, Jason. Buggles | Biography & History - オールミュージック. 2021年6月13日閲覧。
  2. ^ Long, Pat (2012). The History of the NME: High times and low lives at the world's most famous music magazine. Pavilion Books. p. 177. ISBN 978-1-907554-77-3. https://books.google.com/books?id=DG6_CAAAQBAJ&pg=PT177 
  3. ^ Plagenhoef, Scott (2003年10月5日). “Belle and Sebastian: Dear Catastrophe Waitress”. Pitchfork Media. 2021年6月13日閲覧。
  4. ^ Lester, Paul (2016年8月18日). “The Outer Limits: How prog were Buggles?”. TeamRock. Future Publishing Limited. 2021年6月13日閲覧。
  5. ^ トレヴァー・ホーン 来日記念特集~40年間第一線で活躍してきた稀代の才能”. billboard-japan (2017年8月2日). 20121/2/1閲覧。
  6. ^ エイジアのデビューアルバム『詠時感〜時へのロマン』はプログレの再評価につながった記念すべき一作”. OKMusic (2014年6月6日). 20121/2/1閲覧。
  7. ^ 隠れ名盤!バグルスの2ndアルバムがリマスター復刻、ボーナス・トラック付き”. CDjournal (2010年1月22日). 2021年2月1日閲覧。

外部リンク

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