バアル・ヘルモン
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バアル・ヘルモン(ヘブライ語: בַּעַל חֶרְמוֹן)とは、旧約聖書に現れる地名である。
概要
[編集]バアルとヘルモン山につながりの深い語である。『士師記』(3.3)においては山の名前として現われ、ヘルモン山と同一視される。『歴代誌上』(5.23)においては、「ヘルモン山」および、このアモリ人による呼称とされるセニル[1]と並列で現われる地名であり、「ヘルモン山の主(バアル)」への信仰につながりの深い場所だと考えられているものの、この場所が現在のどこにあたるかには一致した見解がない。『歴代誌』の該当部分では、ヨルダン川東のマナセの半部族の居住地とされ、これらの家系の長の名前と、この半部族が戒律に背いて、ヤハウェがかつて滅ぼした民の神々を拝んだことを伝える。
『ヨシュア記』(11.16、13.5)では、ヘルモン山のふもとのレバノンの谷の地名であるバアル・ガドが、マナセ半部族らへの土地の割り当てのくだりにも現われる。このため、歴代誌の地名としての「バアル・ヘルモン」を「ヘルモン山のバアル・ガド」の誤伝とする説もある[2]。バアル・ガドはヨルダン川源流のいくつかの地名に比定される[3]。その一つにヘレニズム期にはパーン神信仰と結び付けられるパネアスの泉の神殿をもち、ローマ帝国支配下ではカエサレア・ピリピ、アラブ人にバーニヤースと呼ばれた遺跡がある[4]。