ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1943-1944
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シーズン | 1943-1944 |
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優勝 |
ドレスナーSC (2回目) |
試合数 | 33 |
ゴール数 | 185 (1試合平均5.61) |
得点王 |
![]() (14点) |
ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1943-1944は、ドイツ国で開催された第37回目のサッカー全国大会である。ドレスナーSCが連覇し、2回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]。
概要
[編集]ドイチェ・マイスターシャフト1943-1944は何とか完結したものの、多大な困難が伴った。第二次世界大戦に起因する劣悪な交通事情、徴兵による選手不足、物資欠乏による用具不足、激化する空襲により、正常な大会運営はますます難しくなっていた[4]。多数のクラブがシーズン途中にリタイアし、順位表から削除されて当該対戦結果が無効化された。いくつかのガウリーガではすべての試合が消化されず、グループ勝者・大管区王者が決まった後でまたやり直される、という混乱も発生した。
大会方式を簡略化するため、多くのスポーツ地域がさらに小さな地域に細分化された。ズュートハノーファー=ブランシュヴァイクとヴェーザー=エムスから、さらにオストハノーファーが分割。ズデーテンラントからベーメン=メーレンを分割、これにてスポーツ地域とガウリーガの数は過去最大の31まで増えた。
かかる多大な困難・混乱にもかかわらず本大会は最後まで行われたが、しかしカップ戦のチャマーポカール1944は本大会前に打ち切られている。
第二次大戦期最後のドイチャーマイスターはドレスデナーSC、決勝では空軍クラブのLSVハンブルクに4-0で完勝し、昨季に続く連覇でドイツ王座を防衛した[5]。LSVハンブルクは、第二次大戦中に創設され台頭した軍隊系クラブの典型だった。1942年創設でガウリーガ参加もつい最近でありながら、チャマーポカール1943に優勝し、DM決勝にも進出した。そのレギュラークラスは徴兵によって入団した有力選手、いわゆるクリークスガストシュピーラーで占められていた。
また、ベスト4の一角にガウリーガ・ポンメルン王者の陸軍系クラブ、HSVグロース・ボルンが食い込んだ。このクラブはHSVフベルトゥス・コルベルクの移動によってできたのだが、当初はシュトルプとシュテティーンのクラブの陰に隠れていたので、この大会でポンメルン勢史上最高成績を残したのは、意外な事だった。
クラブ | 出場資格 |
VfBケーニヒスベルク | → ガウリーガ・オストプロイセン1943-1944優勝 |
ヘーレスSVグロース・ボルン | → ガウリーガ・ポンメルン1943-1944優勝 |
ヘルタBSC | → ガウリーガ・ベルリン=ブランデンブルク1943-1944優勝 |
ゲルマニア・ケーニヒスヒュッテ | → ガウリーガ・オーバーシュレージエン1943-1944優勝 |
STCヒルシュベルク | → ガウリーガ・ニーダーシュレージエン1943-1944優勝 |
ドレスナーSC | → ガウリーガ・ザクセン1943-1944優勝 |
SVデッサウ05 | → ガウリーガ・ミッテ1943-1944優勝 |
ホルシュタイン・キール | → ガウリーガ・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン1943-1944優勝 |
ルフトヴァッフェンSVハンブルク | → ガウリーガ・ハンブルク1943-1944優勝 |
ルフトヴァッフェンSVレーリク | → ガウリーガ・メクレンブルク1943-1944優勝 |
ヴィルヘルムスハーフェン05 | → ガウリーガ・ヴェーザー=エムス1943-1944優勝 |
ヴェーアマハトSVツェレ | → ガウリーガ・オストハノーファー1943-1944優勝 |
アイントラハト・ブラウンシュヴァイク | → ガウリーガ・ズュートハノファー=ブラウンシュヴァイク1943-1944優勝 |
FCシャルケ04 | → ガウリーガ・ヴェストファーレン1943-1944優勝 |
KSG デュイスブルガーSpV/TuSデュイスブルク48/99 | → ガウリーガ・ニーダーライン1943-1944優勝 |
KSG VfLケルン1899/SpVggシュルツ | → ガウリーガ・ケルン=アーヘン1943-1944優勝 |
ボルシア・フルダ | → ガウリーガ・クールヘッセン1943-1944優勝 |
TuSノイエンドルフ | → ガウリーガ・モーゼルラント1943-1944優勝 |
キッカース・オッフェンバッハ | → ガウリーガ・ヘッセン=ナッサオ1943-1944優勝 |
KSG FVザールブリュッケン/SCアルテンカッセル | → ガウリーガ・ヴェストマルク1943-1944優勝 |
VfRマンハイム | → ガウリーガ・バーデン1943-1944優勝 |
FCミュールハウゼン93 | → ガウリーガ・エルザス1943-1944優勝 |
1.ゲッピンガーSV | → ガウリーガ・ヴュルテンブルク1943-1944優勝 |
1.FCニュルンベルク | → ガウリーガ・ノルトバイエルン1943-1944優勝 |
FCバイエルン・ミュンヘン | → ガウリーガ・ズュートバイエルン1943-1944優勝 |
NSTGブリュックス | → ガウリーガ・ズデーテンラント1943-1944優勝 |
ミリテールSVブリュン | → ガウリーガ・ベーメン=メーレン1943-1944優勝 |
ファースト・ヴィエナFC1894 | → ガウリーガ・ドナオ=アルペンラント1943-1944優勝 |
ルフトヴァッフェンSVダンツィヒ | → ガウリーガ・ダンツィヒ=ヴェストプロイセン1943-1944優勝 |
BSGSDWポーゼン | → ガウリーガ・ヴァルテラント1943-1944優勝 |
LSVメルダース・クラカオ | → ガウリーガ・ゲネラールガヴァメント1943-1944優勝 |
一回戦
[編集]- 会場:アルベルト=フォルスター=シュタディオン (ダンツィヒ)、シュタットプラッツ (ノイシュテティーン)、シュタットプラッツ・ファイゲンムント (ヒルシュベルク・イム・リーゼンゲビルゲ)、シュタディオン・アム・オストラゲヘーゲ (ドレスデン)、ホルシュタイン=シュタディオン (キール)、シュタディオン・ホーエルフト (ハンブルク)、アイントラハト=シュタディオン (ブラウンシュヴァイク)、グリュックアウフ=カンプフバーン (ゲルゼンキルヘン)、ラートレンバーン (ケルン)、シュターディオン・ブルツヴァイラー (ミュールハウゼン)、アドルフ=ヒトラー=カンプフバーン (シュトゥットガルト)、シュターディオン (マンハイム)、パレートラー・シュトラーセ (ブリュックス)、ブリュン某所、クラカウ某所、シュタディオン・アム・ゲズントブルネン (ベルリン)
- ボルシア・フルダは一回戦シード。
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
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1944年4月16日[6] | ||
LSVダンツィヒ | 0–0 | ヘルタBSC |
HSVグロース・ボルン | 6–4 | LSVレリック |
STCヒルシュベルク | 7–0 | SDWポーゼン |
ドレスデナーSC | 9–2 | ゲルマニア・ケーニヒスヒュッテ |
LSVハンブルク | 4–0 | WSVツェレ |
アイントラハト・ブラウンシュヴァイク | 1–2 | ヴィルヘルムスハーフェン05 |
FCシャルケ04 | 5–0 | TuSノイエンドルフ |
KSGケルン=シュルツ | 0–2 | KSGデュースブルク |
FCミュールハウゼン | 4–2 | キッカース・オッフェンバッハ |
1.ゲッピンガーSV | 3–5 | KSGザールブリュッケン |
VfRマンハイム | 2–1 | FCバイエルン・ミュンヘン |
NSTGブリュックス | 0–8 | 1.FCニュルンベルク |
MSVブリュン | 3–6 | ファースト・ヴィエナFC1894 |
SVデッサオ05 | 2–3 | ホルシュタイン・キール |
LSVメルダース・クラカオ | 1–4 | VfBケーニヒスベルク |
再試合
[編集]チーム #1 | スコア | チーム #2 |
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1944年4月23日 | ||
ヘルタBSC | 7–1 | LSVダンツィヒ |
ラウンドオブ16
[編集]会場:フリートレンダー・トーアプラッツ (ケーニヒスベルク)、プラター・シュタディオン (ヴィーン)、シュタディオン・アム・ゲズントブルネン (ベルリン)、シュタデイオン・ヨハンニサウ (フルダ)、マリーネシュポルトプラッツ (ヴィルヘルムスハーフェン)、ヴェダオシュタディオン (デュースブルク)、シュタディオン・キーゼルフメス (ザールブリュッケン)、シュテーティッシェス・シュタディオン (ニュルンベルク)、シュタディオン・ホーエルフト (ハンブルク)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
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1944年5月7日[7] | ||
VfBケーニヒスベルク | 3–10 | HSVグロース・ボルン |
ファースト・ヴィエナFC | 5–0 | STCヒルシュベルク |
ヘルタBSC | 4–2 | ホルシュタイン・キール |
ボルシア・フルダ | 2–9 | ドレスナーSC |
ヴィルヘルムスハーフェン | 1–1 | LSVハンブルク |
KSGデュースブルク | 2–1 | FCシャルケ04 |
KSGザールブリュッケン | 5–3 | FCミュールハオゼン93 |
1.FCニュルンベルク | 3–2 | VfRマンハイム |
再試合
[編集]会場:マリーネシュポルトプラッツ
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
1944年5月14日 | ||
LSVハンブルク | 4–2 | ヴィルヘルムスハーフェン05 |
準々決勝
[編集]会場:リヒャルト=リンデマン=シュポルトプラッツ (シュテティーン)、シュタディオン・ホーエルフト (ハンブルク)、シュタディオン・キーゼルフメス (ザールブリュッケン)、シュタディオン・アム・オストラゲヘーゲ (ドレスデン)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
1944年5月21日[8] | ||
ドレスデナーSC | 3–2 | ファースト・ヴィエナFC1894 |
KSGザールブリュッケン | 1–5 | 1.FCニュルンベルク |
HSVグロース・ボルン | 3–2 | ヘルタBSC |
LSVハンブルク | 3–0 | KSGデュイスブルク |
準決勝
[編集]ドレスナーSC | 3 – 1 | 1.FCニュルンベルク |
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Voigtmann ![]() Machate ![]() シェーン ![]() |
レポート | Hettner ![]() |
三位決定戦
[編集]1.FCニュルンベルク | 中止 | HSVグロース・ボルン |
---|---|---|
決勝
[編集]ドレスデナーSC | 4 – 0 | LSVハンブルク |
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フォイクトマン ![]() シャッファー ![]() シェーン ![]() |
レポート |
第三帝国最後のドイチェ・マイスターシャフト決勝戦は、連覇を狙うドレスデナーSCと空軍クラブのルフトヴァッフェンSVハンブルクが対戦し、大方の予想通り王者が4-0で圧勝した[5]。大戦末期最強であったドレスナーは技術的に完成され成熟したサッカーを見せ、対するLSVハンブルクはフィジカルと闘志で対抗した。全体的に、ドレスデナー攻撃陣の華麗かつ連続的な動きが目立つゲームであり、多数の決定機創出は特に後半の3ゴールで報われた。65000または70000人の観衆の期待は満たされた。彼らは90分間白熱したハイクオリティな戦いを目撃したからである。
前半19分にはドレスナーのクレバーな右ウイングFWルディ・フォイクトマンが先制点を決め、彼は50分に追加点もマークしている[9] 。61分、スコアを3-0とする得点を決めたのはヘルムート・シェーン。ここで試合は実質的に決まってしまったが、終了五分前にハインリヒ・シャッファーが更なる駄目押しゴール。そしてペーター・トロンペッター主審の長い笛とともに、ドレスデナーSCが連覇を決めた[10]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ベーメン・メーレン保護領の選手。
出典
[編集]- ^ Dinant Abbink (27 Apr 2023). “Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b “Germany 1943/44” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1943/1944 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 148頁
- ^ a b リヒテンベルガー/秋吉 2005, 150頁
- ^ German championship 1944 – First round Weltfussball.de, accessed: 25 December 2015
- ^ German championship 1944 – Round of sixteen Weltfussball.de, accessed: 25 December 2015
- ^ German championship 1944 – Quarter finals Weltfussball.de, accessed: 25 December 2015
- ^ “gefinkelt”. Duden. 2021年6月23日閲覧。
- ^ Der DSC. wieder Meister!. In: Das Kleine Blatt, 19. June 1944, p. 4 (Online at ANNO)
参考文献
[編集]- ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7