ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929
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シーズン | 1928-1929 |
---|---|
優勝 |
SpVggフュルト (3回目) |
試合数 | 15 |
ゴール数 | 79 (1試合平均5.27) |
得点王 |
![]() (6点) |
ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1928-1929 はドイツサッカー協会によって開催された第22回目のクラブチーム全国大会である。SpVggフュルトが優勝し、3回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]。
概要
[編集]今大会も6月9日から7月28日という遅い時期の開催となったが、昨年のような代表の国際大会出場ではなく、冬の猛烈な寒波が原因であった。地方協会のレギオナルマイスターシャフトは日程消化が大幅に遅れ、ようやく各地域代表が出そろったのは1929年5月末であった。また本大会においても、ヘルタBSC-1.FCニュルンベルクの準決勝が150分戦っても決着がつかず、再試合に持ち込まれた。これにより、ドイチェ・マイスターシャフト決勝の予定日が二週間先延ばしになっている。
ドイツ王座を目指す戦いの中で、ひとつの不名誉な記録が生まれた。ヘルタBSCが新記録となる四年連続の決勝進出を果たし、そのすべてに敗れたのである[4]。だがピッチ上の不名誉とは別に、DFBがヘルタにとって完全なアウェイ (フュルトの隣町ニュルンベルク)を決勝戦会場に選んだ事は問題であった。
それに加えて、1.FCニュルンベルクは準決勝でヘルタに敗れたが[注 1]、1.FCNファンの多くは主審の誤った判定のせいで負けたと考え、地元ではヘルタに対する敵意と憎悪が高まっていた。こうしてSpVggフュルトとの決勝戦は、ヘルタにとって場所・雰囲気ともに最悪の条件で行われ[5]、フュルトが勝利した。フュルトにとって3回目、ニュルンベルク・フュルト地域としては通算8回目のドイツ制覇であった。
労働者体操・スポーツ協会ではFTSVロルベーア・ローテンブルクスオルト、ドイツ体操団体ではTV1846マンハイムが、それぞれの大会でドイチャーマイスターとなった。ドイツ青年活力は大会を開催しなかった。
クラブ | 出場資格 |
VfBケーニヒスベルク | バルティッシェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929優勝 |
FCティタニア・シュテッティン | バルティッシェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929準優勝 |
プロイセン・ヒンデンブルク | ズュートオストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929優勝 |
ブレスラウアーSC08 | ズュートオストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929準優勝 |
ヘルタBSC | ベルリナー・フースバルマイスターシャフト1928-1929優勝 |
テニス・ボルシア・ベルリン | ベルリナー・フースバルマイスターシャフト1928-1929準優勝 |
ドレスナーSC | ミッテルドイチェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929優勝 |
SCヴァッカー・ライプツィヒ | ミッテルドイチャー・ポカール1928-1929優勝 |
ハンブルガーSV | ノルトドイチェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929優勝 |
ホルシュタイン・キール | ノルトドイチェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929準優勝 |
FCシャルケ04 | ヴェストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929優勝 |
マイデリッヒャーSV | ヴェストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929準優勝 |
フォルトゥナ・デュッセルドルフ | ヴェストドイチェ第三代表決定プレーオフ勝者 |
1.FCニュルンベルク | ズュートドイチェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929優勝 |
FCバイエルン・ミュンヘン | ズュートドイチェ・フースバルマイスターシャフト1928-1929準優勝 |
SpVggフュルト | ズュートドイチェ第三代表決定プレーオフ勝者 |
ラウンドオブ16
[編集]開催日:1929年6月9日・16日[6]
会場:ヤーンシュタディオン (グライヴィッツ)、シュポルトプラッツ・シュテッフェックシュトラーセ (ケーニヒスベルク)、シュポルトプラッツ・ホーエルフト (ハンブルク)、ヴェダオシュタディオン (デュイスブルク)、ハインリヒ=ツィッシュ=シュタディオン (ミュンヘン)、フォルトゥナ=シュターディオン (ライプツィヒ)、プロイセン=プラッツ (ベルリン)、ツァボ (ニュルンベルク)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
FCバイエルン・ミュンヘン | 3–0 | ドレスナーSC |
ホルシュタイン・キール | 1–6 | 1.FCニュルンベルク |
SCヴァッカー・ライプツィヒ | 1–5 | FCシャルケ04 |
マイデリッヒャーSV | 2–3 | ハンブルガーSV |
プロイセン・ヒンデンブルク | 1–8 | ヘルタBSC |
VfBケーニヒスベルク | 1–2 | ブレスラオアーSC08 |
SpVggフュルト | 5–1 | フォルトゥナ・デュッセルドルフ |
テニス・ボルシア・ベルリン | 3–2 | FCティタニア・シュテッティン |
準々決勝
[編集]開催日:1929年6月30日[6]
会場:ロンホーフ (フュルト)、カンプフバーン・ローテ・エアデ (ドルトムント)、バーレンフェルダー・シュタディオン (ハンブルク=アルトナ)、シュポルトパルク・グリューナイヒェ (ブレスラウ)
[6]
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
1.FCニュルンベルク | 3–1 | テニス・ボルシア・ベルリン |
FCシャルケ04 | 1–4 | ヘルタBSC |
ブレスラウアーSC08 | 4–3 | FCバイエルン・ミュンヘン |
ハンブルガーSV | 0–2 | SpVggフュルト |
準決勝
[編集]開催日:1929年7月7日[6]
会場:ヴァルトシュタディオン (フランクフルト・アム・マイン)、ポストシュタディオン (ベルリン)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
ヘルタBSC | 0–0 | 1.FCニュルンベルク |
SpVggフュルト | 6–1 | ブレスラウアーSC08 |
再試合
[編集]開催日:7月21日[6]
会場:ラインシュタディオン (デュッセルドルフ)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
ヘルタBSC | 3–2 | 1.FCニュルンベルク |
決勝
[編集]選手 | クラブ | 試合数 | 得点数 | |
---|---|---|---|---|
1. | ![]() |
ヘルタBSC | 5 | 6 |
2. | ![]() |
SpVggフュルト | 4 | 5 |
3. | ![]() |
ブレスラオアーSC08 | 3 | 4 |
4. | ![]() |
SpVggフュルト | 4 | 4 |
![]() |
SpVggフュルト | 4 | 4 | |
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1. FCニュルンベルク | 4 | 4 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ドイチェ・マイスターシャフトにおけるニュルンベルクの初黒星であり、出場した大会で決勝進出を逃したのも初めてだった。
出典
[編集]- ^ Dinant Abbink (27 Apr 2023). “Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b “Germany 1928/29” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1928/1929 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 68頁
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 68-69頁
- ^ a b c d e “Deutsche Meisterschaft 1928/1929 » Spielplan” [German championship 1928–29] (German). Weltfussball.de. 7 January 2016閲覧。
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1928/1929 » Torschützenliste” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
- ^ nach Rupprechts Saisonstatistik auf kleeblatt-chronik.de
参考文献
[編集]- ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7