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ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1904-1905

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Deutsche Fußballmeisterschaft
シーズン 1904-1905
優勝 ベルリナーTuFCウニオン92ドイツ語版
(1回目)
試合数 8
ゴール数 37 (1試合平均4.63)
得点王 ドイツの旗 パウル・ヘアツォークドイツ語版
ドイツの旗 ラインハート・リヒタードイツ語版
(4点)

ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1904-1905ドイツサッカー協会によって開催された第3回目のクラブチーム全国大会である。ベルリナーTuFCウニオン92ドイツ語版が優勝し、1回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]

概要

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今年度大会は各クラブの財政的問題が浮き彫りとなった。初出場のシュレージエン・ブレスラウに加えて、初代王者・現ドイツ王座保持者VfBライプツィヒまでも、遠征費を工面できず棄権した[4]。 DFBはこの事態に対する準備ができておらず、急遽試合日程を修正することで対応したが、かえって混乱を巻き起こし、準決勝はたった3クラブで行われた。大会運営費用は前もってDFBにより担保されたのだが、最終的には各地方協会・出場クラブ、さらには試合会場所有者にまで負担をかけることになってしまった。

出場クラブ[2]

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1905年5月21日時点でDFBは262クラブの会員を抱えており、過去最多の10協会がそれぞれが出場登録を行った。過去二大会と同じく、DFBに加盟している地方協会の王者が出場した。その10クラブに加えて、ドイツ王座保持者VfBライプツィヒが11クラブ目となる予定だったのだが、上述の通り彼らは棄権した。出場クラブの増加と各地域間の実力差を鑑みて、DFBは予備予選で弱小クラブを振るい落とすことにした。そして昨年度の途中打ち切りと、その原因となった遠征距離不平等へのクレームを受けて、中立地開催が初めて原則通りに実行された。

クラブ 出場資格
SCシュレージエン・ブレスラオドイツ語版 ブレスラオアー・フースバルマイスターシャフト1904-1905優勝
SCアレマニア・コットブスドイツ語版 ニーダーラオジッツァー・フースバルマイスターシャフト1904-1905優勝
ベルリナーTuFCウニオン92ドイツ語版 VBBベルリナー・フースバルマイスターシャフト1904-1905優勝
ドレスナーSCドイツ語版 ミッテルドイチェ・フースバルマイスターシャフト1904-1905優勝
VfBライプツィヒドイツ語版 タイトル保持者
マクデブルガーFCヴィクトリア96ドイツ語版 VMBVマイスターシャフト優勝
FCヴィクトリア・ハンブルクドイツ語版 HAFVマイスターシャフト優勝
FuCCアイントラハト・ブラウンシュヴァイク FfdHBマイスターシャフト優勝
ハノーファーシャーFC1896 VHBVマイスターシャフト優勝
デュイスブルガーSpVドイツ語版 ヴェストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1904-1905優勝
カールスルーアーFVドイツ語版 ズュートドイチェ・フースバルマイスターシャフト1904-1905優勝

予備予選

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予備予選1回戦

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1905年4月9日 (1905-04-09) 予備予選 SCシュレージエン・ブレスラウ 5 – 1 アレマニア・コットブス ドレスデン[5]
競技場: ハインツ=シュタイアー=シュターディオン[5]
主審: Max Landrock[5]

得点者は不明ながら、シュレージエン・ブレスラウはアレマニア・コットブスを5-1で大破し予備予選2回戦進出を決めた。だがしかし、ブレスラウは遠征費が高すぎて捻出できないという理由で2回戦を棄権した。

のちにニーダーザクセン州において宿命のライバル同士となる、アイントラハト・ブランシュヴァイクとハノーファー96が初めて全国大会に出場した。ブラウンシュヴァイクは前半15分にルドルフ・デートマーが先制点を決め、ハーフタイムまでにリードを2-0に拡げた。ハノーファーも後半にスタンリー・ドビンソンとヴィルヘルム・ビューリングの得点で同点に追いついたが、延長110分にデートマーが決勝点を挙げたブランシュヴァイクが激戦を制した。

予備予選2回戦

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1905年4月16日 (1905-04-16) 予備予選 マクデブルガーFCヴィクトリア96 中止 SCシュレージエン・ブレスラオSV ライプツィヒ [7]

予備予選3回戦

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1905年4月30日 (1905-04-30) 予備予選 FuCCアイントラハト・ブラウンシュヴァイク 2 – 1 マクデブルガーFCヴィクトリア96 ベルリン[8]
競技場: Germania-Platz Tempelhof[8]
主審: Otto Hiller[8]

前述のとおりシュレージエン・ブレスラウが遠征を断念したので、二回戦不戦勝のマクデブルガーFCとブラウンシュバイクはそのまま本大会に進む予定だったのだが、急遽予定を変更し彼らの間でもう一試合の予備予選が組まれた。予備予選一回戦から三週間が経過し、本大会開幕は一週間後というタイミングである。

マクデブルガーはハンス・アダムのゴールで61分に先行、対するブランシュヴァイクは七分後に怪しい判定で得たPKをクルト・ハーゲマンが決めて同点にした。80分にマクデブルガーのガイアーが退場し11人対10人となるが、スコアは動かず1-1のまま延長へ突入した。そして106分、ブランシュヴァイクはヴィルヘルム・ケンプファーの決勝点で二試合連続の (ただし三週間後だが) 延長戦を制し、本大会進出を決めた。

準々決勝

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1905年5月28日 (1905-05-28) 準々決勝 カールスルーアーFV 1 – 0 デュイスブルガーSpV ハーナウ[9]
Zinser 45分にゴール 45分 競技場: Zur Schönen Aussicht[9]
主審: Roth[9]
1905年5月28日 (1905-05-28) 準々決勝 ドレスデナーSC 5 – 3 FCヴィクトリア・ハンブルク ベルリン[10]
Neumann 13分にゴール 13分18分
Richter 48分にゴール 48分50分
Große 84分にゴール 84分
ガールン 4分にゴール 4分
Hagenah 42分にゴール 42分
Fricke 60分にゴール 60分
競技場: Germania-Platz Tempelhof[10]
主審: Paul Faber[10]
準々決勝 VfBライプツィヒ (1893年) 中止 FuCCアイントラハト・ブラウンシュヴァイク
1905年5月28日 (1905-05-28) 準々決勝 ベルリナーTuFCウニオン92 4 – 1 FuCCアイントラハト・ブラウンシュヴァイク マクデブルク[11]
競技場: Victoriaplatz[11]
主審: Hans Dreßler[11]

前年度決勝戦中止により、まだ第一回大会で勝ち取った国内王座を保持していたVfBライプツィヒだったが、遠征費を捻出できずにアイントラハト・ブランシュヴァイク戦を棄権し、王座防衛権を自ら放棄してしまう。DFBは準決勝シード予定だったベルリナー・ウニオンを、代わりにこの準々決勝に出場させた。

ブランシュヴァイクはヴィルヘルム・ケンプファーの得点で先制し、このリードをハーフタイムまで守った。だが後半開始直後、ベルリナー・ウニオンはアルフレート・ヴァーゲンザイルが同点弾、そして56分と66分にヴィリ・ピザラが決めて試合をひっくり返し、最後はラインホルト・ボックがしめくくり、4-1で大勝した。

二週間後に行われたカールスルーアーFVとデュイスブルガーSpVの試合は、一転して接戦となった。昨季は大会運営の不備などで災難を被ったKFVは、ユリウス・ツィンシャーが唯一のゴールを決めて1-0で勝ち大会初白星を挙げ、さらに決勝戦へのシード権をも手にした。

準々決勝ラストゲームは、ヴィクトリア・ハンブルク対ドレスデナーSC。ハンブルクは開始4分にヘルマン・アダムが先制点を決めるが、その15分後にDSCのアルノ・ノイマンにわずか5分間で2ゴールを決められ逆転された。だが、前半終了間際にベルトホルト・ハーゲナーが同点弾を決め2-2の同点でハーフタイムへ。

後半DSCは、ラインハルト・リヒターが48分・50分と連続ゴールを決めて4-2と突き放し、十分後にマックス・フリッケの得点で一点差に詰め寄られるも、終了間際にアルノ・グローセが駄目押しして5-3で勝利。準決勝進出を決めた。

準決勝

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1905年6月4日 (1905-06-04) 準決勝 ドレスデナーSC 2 – 5 ベルリナーTuFCウニオン92 ライプツィヒ[12]
競技場: Radrennbahn[12]
主審: Hans Dreßler[12]

初出場で初戦突破したドレスデナーSCだったが、格上のベルリナー・ウニオンに粉砕された。ウニオンは開始20分にパウル・ヘルツォークが先制点、さらに前半のうちにヘルツォークとフレーデが加点し、3-0リードで前半を折り返す。後半ヘルツォークがハットトリックを達成してスコアは4-0となり、その後DSCはラインホルト・リヒターが結果的に得点王タイを確定させる2ゴールで二点差に詰め寄ったが、ウニオンはヴィリ・ピザラがとどめの5点目を決め、5-2で勝って決勝進出を決めた。

決勝

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ベルリナーTuFCウニオン922–0カールスルーアーFV
  • ヴァーゲンザイル 10分にゴール 10分
  • ヘアツォーク 50分にゴール 50分
レポート
ヴァイデンペッシャー・パルク, ケルン
観客数: 3,500
主審: レギナルト・ヴェステンダルプ (ハンブルク)
ベルリナーTuFCウニオン92
カールスルーアーFV
GK ドイツの旗 ヴィリー・クリューガー
RB ドイツの旗 オットー・ケーネドイツ語版
LB ドイツの旗 アレクサンダー・ボックドイツ語版
RH ドイツの旗 フェリックス・ユアガドイツ語版
CH ドイツの旗 クアト・ハインリヒドイツ語版 (c)
LH ドイツの旗 エミル・ラインケドイツ語版
OR ドイツの旗 ラインハート・ボックドイツ語版二世
IR ドイツの旗 アルフレート・ヴァーゲンザイルドイツ語版
CF ドイツの旗 O・フレーデ
IL ドイツの旗 パウル・ヘルツォークドイツ語版
OL ドイツの旗 ヴィリ・ピザラドイツ語版
GK オランダの旗 ヴィレム・スヒエルベークドイツ語版
RB ドイツの旗 フリッツ・グッチュドイツ語版
LB オランダの旗 アドルフ・バウフィードイツ語版
RH ドイツの旗 ヴィルヘルム・ランガードイツ語版
CH ドイツの旗 イヴォ・シュリッカードイツ語版 (c)
LH ドイツの旗 マックス・シュヴァーツェドイツ語版
OR ドイツの旗 フランツ・ルツェクドイツ語版
IR ドイツの旗 ルイス・ヘックドイツ語版
CF ドイツの旗 ルドルフ・ヴェッツラードイツ語版
IL ドイツの旗 ユリウス・ツィンザードイツ語版
OL ドイツの旗 A・ホルダーマンドイツ語版

試合のルール

カールスルーアーFVは未来のFIFA副会長・事務総長のイヴォ・シュリッカー、オランダ人選手2人などを擁していたが、ベルリナー・ウニオン相手に完敗した。準決勝を3点差で勝利したチーム力は、前日の深酒を反省し出場辞退した正GKパウル・アイヒェルマン、仕事のため試合に来られなかったDFラインハルト・ティールの二名を欠いても、なお健在であった。

開始10分にアルフレート・ヴァーゲンザイルが決めて先制したウニオンは、さらに前半終了間際パウル・ヘルツォークが自身今大会4点目・得点ランキング首位タイに浮上する追加点を挙げ、2-0とリード。後半をこのスコアのままやり過ごし、首都ベルリンに初のマイスターシャフトをもたらした。ウニオン自身はこれが唯一の優勝だったが、昨季のベルリナー・ヴィクトリアの決勝進出も含め、ここからベルリン勢の支配が始まろうとしていた。

ベルリナーTuFCウニオン92のマイスターマンシャフト

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Meistermannschaft des Berliner TuFC Union 92.
Heinrich, Reinke, Kähne, Wagenseil, Herzog, Girulatis, A. Bock, Thiel, Pisara, Jurga; vorne: Krüger
ベルリナーTuFCウニオン92
Wappen des Berliner TuFC Union 92

得点ランキング[13]

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シュレージエン・ブレスラウの5点とアレマニア・コットブスの1点、計6ゴールの得点者が不明である。

選手 クラブ 出場数 得点数
1. ドイツの旗 ラインハート・リヒタードイツ語版 ドレスナーSC 2 4
2. ドイツの旗 パウル・ヘアツォークドイツ語版 ベルリナーTuFCウニオン92 3 4
3. ドイツの旗 ヴィルヘルム・ケンプファードイツ語版 FuCCアイントラハト・ブラウンシュヴァイク 3 3
ドイツの旗 ヴィリ・ピザラドイツ語版 ベルリナーTuFCウニオン92 3 3
5. ドイツの旗 アーノ・ノイマンドイツ語版 ドレスデナーSC 2 2
ドイツの旗 アルフレート・ヴァーゲンザイルドイツ語版 ベルリナーTuFCウニオン92 2 2
7. ドイツの旗 ルドルフ・デトマードイツ語版 FuCCアイントラハト・ブラウンシュヴァイク 3 2
8. ドイツの旗 ハンス・アーダムドイツ語版 マクデブルガーFCヴィクトリア96 1 1
ドイツの旗 ヴィルヘルム・ビューリンドイツ語版 ハノーファーシャーFC96 1 1
イングランドの旗 スタンリー・レイン・ドビンソンドイツ語版 ハノーファーシャーFC96 1 1
ドイツの旗 マックス・フリッケドイツ語版 FCヴィクトリア・ハンブルク 1 1
ドイツの旗 ヘアマン・ガームドイツ語版 FCヴィクトリア・ハンブルク 1 1
ドイツの旗 ベアトホルト・ハーゲナードイツ語版 FCヴィクトリア・ハンブルク 1 1
14. ドイツの旗 アーノ・グローセドイツ語版 ドレースナーSC 2 1
ドイツの旗 ユリウス・ツィンザードイツ語版 カールスルーアーFV 2 1
16. ドイツの旗 ラインホルト・ボックドイツ語版 ベルリナーTuFCウニオン92 3 1
ドイツの旗 O・フレーデ ベルリナーTuFCウニオン92 3 1
ドイツの旗 クアト・ハーゲマンドイツ語版 FuCCアイントラハト・ブラウンシュヴァイク 3 1

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ Dinant Abbink (27 Apr 2023). “Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  2. ^ a b Germany 1904/05” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  3. ^ Deutsche Meisterschaft 1904/1905 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
  4. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 50頁
  5. ^ a b c Deutsche Meisterschaft 1904/1905 .:. Qual. 1. Runde”. weltfussball.de. 27 July 2011閲覧。
  6. ^ a b c Deutsche Meisterschaft 1904/1905 .:. Qual. 2. Runde”. weltfussball.de. 27 July 2011閲覧。
  7. ^ Dinant Abbink (17 January 2008). “Germany - Championships 1902-1945”. RSSSF. rec.sport.soccer Statistics Foundation. 29 June 2011時点のオリジナルよりアーカイブ27 July 2011閲覧。
  8. ^ a b c Deutsche Meisterschaft 1904/1905 .:. Qual. 3. Runde”. weltfussball.de. 27 July 2011閲覧。
  9. ^ a b c Deutsche Meisterschaft 1904/1905 .:. Viertelfinale”. weltfussball.de. 27 July 2011閲覧。
  10. ^ a b c Deutsche Meisterschaft 1904/1905 .:. Viertelfinale”. weltfussball.de. 27 July 2011閲覧。
  11. ^ a b c Deutsche Meisterschaft 1904/1905 .:. Viertelfinale”. weltfussball.de. 27 July 2011閲覧。
  12. ^ a b c Deutsche Meisterschaft 1904/1905 .:. Halbfinale”. weltfussball.de. 27 July 2011閲覧。
  13. ^ Deutsche Meisterschaft 1904/1905 » Torschützenliste” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。

参考文献

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  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7 
  • Geschichte des deutschen Fußballsports. Band III der Schriftenreihe des Deutschen Fußball-Bundes. Carl Koppehel, Verlag Wilhelm Limpert, Frankfurt 1954, 4. erweiterte Auflage ohne Jahresangabe.
  • Deutsche Meisterschaft (1903-1923), IFFHS-Magazin Libero Nr. 36. International Federation of Football History & Statistics, Wiesbaden, II. Quartal 2002.
  • Das Goldene Buch des Deutschen Fußballs. Hardy Grüne, Dietrich Schulze-Marmeling, Verlag Die Werkstatt, Göttingen 2015.

外部リンク

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