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Tu-144 (航空機)

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ツポレフ Tu-144から転送)
Tu-144
テスト飛行を行う試作機(1969年2月1日)
概要
用途 旅客機
乗員 3名
乗客 140名
初飛行 1968
運用開始 1975
製造者 ツポレフ
寸法
全長 65.7 m
全幅 28.8 m
全高 12.85 m
翼面積 438.0 m2
重量
空虚 91,800 kg
最大離陸 195,000 kg
動力
エンジン クズネツォーフ NK-144×4
Tu-144D以降の機体はコレゾフ RD-36-51×4
推力(A/B on) 18,150 kgf×4
性能(目安)
最大速度 マッハ 2.35
航続距離 約6,500 km

ツポレフ Tu-144(ツポレフ144;ロシア語: Ту-144は、ソ連ツポレフ設計局で設計・製造された超音速旅客機(SST)である。

NATOコードネームでは「チャージャー(Charger)」と名付けられたが、外観がコンコルドに酷似したものであったことから、西側では登場当初から「ソ連のスパイ活動によるコピー説」が広く流布し、一般に「コンコルドスキー(Concordski または Konkordski)」と呼ばれていた。ただし、初飛行は本機がコンコルドよりも早かった。

開発の経緯

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コンコルドとの比較図
初号機

1950年代末にデハビランド コメットボーイング707ダグラスDC-8などの、いわゆる「第1世代ジェット旅客機」の就航と前後して、イギリスフランスアメリカ合衆国といった西側の航空先進国では超音速輸送機の研究や構想が盛んに行われた。

音速の2倍で飛び、同じ航路を当時の亜音速のジェット旅客機の半分の時間で飛ぶ超音速輸送機は、「1機あたりの生産性が倍になって」、「航空会社の保有する機体の数を半減させることができ」、「大西洋間の日帰り旅行が可能となるなど、乗客にとっては世界をより小さくするものであり」、「将来的には商用旅客機のほとんどは超音速輸送機になるだろう――したがって、超音速輸送機は航空史の新たな時代を担うものである」と、ばら色の未来が真剣に語られていたのである。

国民の移動の自由が保障されており、大型ジェット旅客機による長距離国際線が多数運行されていた西側の航空先進諸国とは違い、国民の海外旅行が制限されていたソ連や東側諸国でこの種の航空機の必要性は必ずしも高いとは言えなかったが、スプートニク計画や世界初のSLBM搭載潜水艦の就役など、西側諸国より優れた科学技術を誇示することでソビエト連邦と社会主義の求心力維持に活用してきたフルシチョフ政権にとっては、西側諸国が超音速輸送機を実用化していくのを指をくわえて見ていることは出来なかった。

また、広大なソ連邦の中で、政府高官(要人)や重要な物資、郵便物を移動させるために使うのであれば、超音速輸送機の需要が無いとは言えなかった。なお、陸上飛行でのソニックブームオゾン層の破壊など、超音速輸送機による環境問題については、開発初期には西側諸国でも認識されておらず、その後もソ連においてはあまり重要視されなかった。

このような経緯もあって、ソ連においても超音速輸送機の開発がはじめられることとなった。開発を担当することになったのは超音速機と旅客機、両方の設計について実績を積んでいたツポレフ設計局であった。雑誌「Technology of the Air Transport」の1962年1月号でTu-144の概要が発表され、大臣会議による計画承認ののち、航空省は1963年7月26日にTu-144の開発をスタートさせた。計画では開始から4年後までに5機の原型機が製造され、最初の機体は1966年には完成していることが求められた。

新たなる超音速旅客機の開発のために、超音速戦闘機のミコヤンMiG-21を用いた2機の試験機が製造された。この機体はMiG-21I「アナローク」と名付けられたが、尾翼付きデルタ翼のMiG-21に対し、MiG-21Iは無尾翼で、機首までなだらかに曲線を描くオージー翼を備えていた。MiG-21Iを用いてオージー翼の特性や無尾翼機の操縦性などが試験され、そのデータはTu-144の開発に活用された。

原型機は1968年12月31日に初飛行した。この初飛行は政府の指示に従い「ライバル」のコンコルドより2か月早いものであった。また、この原型機は量産型Tu-144Sと異なる点が多かった。主翼はコンコルドそっくりの(そしてMiG-21Iと相似形の)オージー翼で、機首のカナードは装備されていなかった。量産型Tu-144Sより翼幅はやや小さく、胴体もやや短かった。4基のエンジンは中央にまとめられてその外側で主脚が出入りし、コックピット風防前のバイザーの窓はよりコンコルドに近い形のものであった[1]

Tu-144原型機で試験が行われた後、多数の改良点を盛り込んだ量産型Tu-144Sがようやく製造され、1971年7月1日に初飛行した。

特徴

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前方から見たTu-144
Tu-144の機首部分

量産型のTu-144Sでは、製作の面倒なオージー翼の代わりに、オージー翼の曲線を2本の直線で置き換えたダブルデルタ翼が取り入れられ、翼幅、翼面積ともに拡大された。また、離着陸時にのみ展開し、大きく機首上げモーメントを生じさせる引き込み式のカナードが装備され、エレボンフラップとして用いることが出来るようになり、離着陸性能が大幅に向上した。

このカナード(先尾翼)が無ければ、デルタ翼やオージー翼は後縁フラップが付けられない。付けても後ろ側だけが持ち上がる形となり、通常の尾翼の飛行機がエレベーターを下げて機首を下向きにするのと同じことになってしまう。そこでカナードを付けて、主翼の後縁フラップを下げると同時に、カナードのエレベーターを用いて機首を持ち上げることにより、主翼に後縁フラップが付けられるようになった。

大迎え角となる離着陸時に視界を確保するためコンコルド同様に機首を下方に可動できるようになっていたが、コンコルドのように機首とバイザーが別に動作するのではなく、単にバイザーごと機首が上下する。この機首を引き上げると、前方視界はわずかであった。

胴体は原型機の段階からコンコルドより若干太く作られており、エコノミークラスで横5列の座席を設置できた。Tu-144Sでは、胴体の長さもやや延長された。

胴体後部に過熱振動などの問題を引き起こしていたエンジンは、左右2基ずつに分離され、より外側に移された。このためエンジンと主脚とが主翼下面で競合することになり、主脚は小径のタイヤ8輪を装備する変わった構造とされ、エンジン2基をまとめたナセルの、それぞれのエンジンのダクトの間に引き込まれた。

エンジンそのものも原型機のクズネツォフNK-144ターボファンの改良型NK-144Aに換装され、パワーアップが図られた。しかし、それでもコンコルドとは異なりマッハ2での超音速飛行時においてもアフターバーナーを焚き続けなければならなかったと言われており、ただでさえ良くない超音速輸送機の燃費をさらに悪化させた。後期にはより効率のよいコレゾフ RD-36-51ターボジェットエンジンに換装して性能を向上したTu-144Dが生産された。

製造と運用

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1973年のパリ航空ショーにて。この後の展示飛行で墜落した

Tu-144は、その大きさやカタログ性能面ではコンコルドをほぼ全ての面で凌駕していたが、Tu-144を運航したのはアエロフロートのみで、運航期間も短かった。

ソ連政府の指導により、コンコルドの営業運航が始まる1か月前(コンコルドの営業運航開始は1976年1月21日)の1975年12月26日、Tu-144はモスクワ - アルマアタ間の郵便貨物便として営業運航を開始する。当時のアルマアタはソ連を構成する共和国の一つ、カザフ・ソビエト社会主義共和国首都であり、国内貨物線に超音速機を投入するという珍しい例であった。その後、1977年11月1日には同じくモスクワ - アルマアタ間で旅客輸送を開始した。4019kmの区間を平均時速2400km、所要2時間1分で飛行した。イリューシン62ならば所要4時間なので、その半分である[2]

しかし、コンコルドよりも劣悪な燃費性能と乗り心地、経済性と信頼性の低さなどの問題により、わずか7か月後の1978年6月6日に運航が中止された。モスクワ - アルマアタ間での運航頻度は週1便のみで、他路線への投入もされなかったため、旅客便としての運航はわずか102便で終わった[3]

ツポレフは燃費向上のためイギリスから有償で技術供与を受けるなどしたが解決には至らず、生産数は原型機1機、量産型のTu-144Sが10機、性能向上型のTu-144Dが5機の計16機が製造されるにとどまった。生産機数の16機はコンコルドと同様であったが、2003年まで国際線で活躍したコンコルドと違い、上記のように16機全機が活躍したかどうかも疑わしいものであった。

事故

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Tu-144は2度の重大な事故を起こしている。

1973年6月3日には、SSSR-77102号機がパリ航空ショーに参加。展示飛行では、旋回を交えてはるかに大胆な飛行を披露したもののパリ郊外のル・ブルジェ空港北側の村落に墜落し、乗員6名および地上の住民7名が犠牲となった。この航空ショーには最大のライバルであるコンコルドも参加しており、ライバルにその性能を見せつけるはずが結果的に相手のお膝元で大惨事を引き起こすこととなってしまった[1][4]

また1978年5月23日には、試験飛行中のTu-144Dの機内で火災が発生し不時着するという事故が発生した。この便には乗客は搭乗していなかったが、Tu-144の旅客輸送に大きな打撃を与えた。

運航停止後のTu-144

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データ収集に活躍中のTu-144LL。垂直尾翼にロシアとアメリカの国旗が描かれている
展示されるTu-244モックアップ

一部のTu-144は運航停止からソビエト連邦の崩壊後の数年間は、ツポレフの工場で放置されていた。その他に、モニノ空軍博物館(ロシア・モスクワ近郊)やジンスハイム自動車・技術博物館ドイツジンスハイム)にて雨晒しで野外展示されている機体もある。ジンスハイムの機体は機内を見学することが可能で、コンコルドと並んで展示されている。

なお、Tu-144Dのうちの1機であるRA-77114機は改造の上、次世代超音速旅客機開発のためのデータ収集を目的とする、ロシアとアメリカの共同プロジェクトのために復帰していた。

この復帰にあたっては、エンジンをより強力なNK-321ターボファンエンジン(Tu-160が装備するエンジン)に換装し、操縦系統等にデジタル技術を取り入れるなど、大幅な改造を行っている。このTu-144はTu-144LL(LLは「Flying Laboratory」を意味するロシア語「Letayushchaya Laboratoriya」からの略語)と呼ばれ、1996年11月30日に初飛行[5] し、1999年4月までにモスクワ近郊のジュコーフスキーで飛行試験と地上試験に使用され、試験終了後十数年にわたって放置された。

しかし、2019年ごろに外装の修復が行われ、現在はアエロフロートの旧塗装に塗り替えられた状態でジュコーフスキー空港の敷地内で保存されている[6]

これらのデータを元に、ツポレフ設計局はTu-244と呼ばれる新しい超音速輸送機を開発・設計し、使用するエアラインが名乗り出れば即時に具体的な形にできるとしていたが、計画は進展していない。Tu-444という小型超音速旅客機のプロジェクトが発表されたが、こちらも状況は同じである。

製造機材一覧

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「超音速旅客機CONCORDE」イカロス出版 107頁より引用

製造順 機体記号[7] 型式 使用用途 履歴 現状
1 СССР-68001 Tu-144 試作機 1968年12月31日に初飛行した機体 ジュコフスキーで廃棄処分
2 СССР-77101 Tu-144S 量産型初号機(前量産型) 1971年6月1日に初飛行 廃棄処分
3 СССР-77102 Tu-144S 量産型2号機 1972年3月20日に初飛行した機体。 1973年6月3日にフランス・パリ航空ショーでの展示飛行中にル・ブルジェ空港北側の村落に墜落。乗員6名と住民7名が死亡。
4 СССР-77103 Tu-144S 量産型3号機 1973年12月13日に初飛行 ジュコフスキーで廃棄処分
5 СССР-77104 Tu-144S 量産型4号機 1974年6月14日に初飛行。後に形式名に因んで機体記号をCCCP-77144に改番 ジュコフスキーで廃棄処分
6 СССР-77105 Tu-144S 量産型5号機 1974年11月30日に初飛行、後にTu-144Dに改造 ジュコフスキーで廃棄処分
7 СССР-77106 Tu-144S 量産型6号機 1975年3月14日に初飛行 モニノ空軍博物館にて展示保存
8 СССР-77107 Tu-144S 量産型7号機 1975年8月20日に初飛行 カザンで展示保存
9 СССР-77108 Tu-144S 量産型8号機 初飛行不明 サマサ研究所で保管
10 СССР-77109 Tu-144S 量産型9号機 初飛行不明 ヴォロズネ航空機工場で保管
11 СССР-77110 Tu-144S 量産型10号機 初飛行不明 ウリャノフスクで展示保存
12 СССР-77111 Tu-144D D型初号機 1978年4月27日に初飛行 1978年5月23日に火災により不時着
13 СССР-77112 Tu-144D D型2号機 初飛行不明。 ジンスハイム自動車・技術博物館にて展示中(機内見学可)
14 СССР-77113 Tu-144D D型3号機 初飛行不明 ジュコフスキーで廃棄処分
15 СССР-77114 Tu-144D D型4号機 1981年に初飛行、後にTu-144LLに改造 2019年に修復、ジュコフスキーで展示保存
16 СССР-77115 Tu-144D D型5号機 初飛行不明、事実上最後に完成したTu-144 ジュコフスキーで保管
  СССР-77116 Tu-144D D型6号機 未完成 分解状態で製造工場で保管?
Tu-144の3面図
Tu-144の仕様
機種 Tu-144 Tu-144S Tu-144D Tu-144LL コンコルド (比較)
乗員 3名 3名
乗客 ? 120名 0 144名
全長[8] 59.4m 65.7m 61.66m
全幅[8] 27.65m 28.8m 25.6m
全高[8] 12.25m 14.4m 12.2m
非積載時重量[9] 85ton 91.8ton 99.2ton 103ton 92.08ton
最大離陸重量[9] 180ton 195ton 207ton 203ton 185ton
最大着陸重量[9] 120ton 125ton 111.13ton
積載燃料[9] 70ton 95ton 94.47ton
エンジン[9] クズネツォフ NK-144 コレゾフ RD-36-51 クズネツォフ NK-32 ロールスロイス / スネクマ[10]
オリンパス 593
巡航速度[11] 2300km/h
(マッハ 2.17)
2200km/h
(マッハ 2.07)
2120km/h
(マッハ 2.0)
2300km/h
(マッハ 2.17)
2145km/h
(マッハ 2.02)
最高速度[11] 2430km/h
(マッハ 2.30)
2500km/h
(マッハ 2.35)
2285km/h
(マッハ 2.15)
2500km/h
(マッハ 2.35)
2368km/h
(マッハ 2.23)
航続距離[11] 2920km 3080km 5,330 - 6200km[12] 4000km 6200km
巡航高度[11] 20000m 18000m

Tu-144とTu-144S型はクズネツォフ NK-144を装備し、アフターバーナーを使用しなければマッハ2で飛行する事は出来ないがマッハ1.6で巡航することは可能。 Tu-144D型はより強力で燃費が優れていて(特に超音速巡航アフターバーナーが不要で)寿命の長いコレゾフ RD-36-51を装備。

Tu-144を扱った作品

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映像作品

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出典・注釈

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  1. ^ a b 写真特集:旧ソ連の超音速旅客機「コンコルドスキー」”. CNN (2018年1月2日). 2020年7月5日閲覧。
  2. ^ 「Tu-144定期運航を開始」『航空ジャーナル』1978年1月号、p166
  3. ^ 外部リンク欄の各サイトや当時の時刻表などによれば、一時期旅客仕業に就いていたことは事実のようである
  4. ^ ソ連版超音速旅客機「コンコルドスキー」、なぜ短命に終わったのか?”. CNN (2018年1月2日). 2018年10月8日閲覧。
  5. ^ 20 лет назад состоялся первый полет летающей лаборатории Ту-144 ЛЛ с двигателем НК-32”. 2020年6月22日閲覧。
  6. ^ Monument to Tu-144 is unveiled in Zhukovsky - 24/08/2019”. TU-144SST. 2020年6月22日閲覧。
  7. ^ СССРはキリル文字表記であり、ラテン文字転記ではSSSRになる
  8. ^ a b c Dimensions - Tu144sst.com
  9. ^ a b c d e Masses - Tu144sst.com
  10. ^ Concorde Powerplant Specifications
  11. ^ a b c d Performances - Tu144sst.com
  12. ^ La distance variait en fonction de la charge utile transportée - Tupolev.ru

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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