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チャールズ・ボークラーク (第2代セント・オールバンズ公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チャールズ・ボークラーク
Charles Beauclerk
第2代セント・オールバンズ公
在位 1726年1751年

出生 (1696-04-06) 1696年4月6日
死去 (1751-07-27) 1751年7月27日(55歳没)
埋葬 グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国ウェストミンスター寺院
配偶者 ルーシー・ウェルデン
子女 ジョージ
ダイアナ
家名 ボークラーク家
父親 初代セント・オールバンズ公チャールズ・ボークラーク
母親 ダイアナ・ド・ヴィアー
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第2代セント・オールバンズ公爵チャールズ・ボークラーク英語: Charles Beauclerk, 2nd Duke of St Albans KG KB1696年4月6日1751年7月27日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。1696年から1726年までバーフォード伯爵儀礼称号を使用した。

生涯

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初代セント・オールバンズ公爵チャールズ・ボークラークダイアナ・ド・ヴィアー英語版の長男として、1696年4月6日に生まれた[1]。1706年にイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1714年4月24日にオックスフォード大学ニュー・カレッジ英語版に入学[3]、1716年から1717年までグランドツアーに出てイタリアを旅した[2]

1718年2月にボドミン選挙区英語版で選出され庶民院議員になり、1722年イギリス総選挙ウィンザー選挙区英語版に鞍替えして再選、議会で政府を支持した[2]。1725年5月27日にはバス勲章を授与された[2][3]

1726年5月11日に父が死去すると、セント・オールバンズ公爵の爵位を継承した[1]。その後、1727年から1751年までバークシャー統監英語版を、1730年から1751年までウィンザー城管理長官及び総督英語版を、1738年から1751年まで寝室侍従英語版を務めた[2]。1741年、ガーター勲章を授与された[2]

1751年7月27日に死去、息子ジョージが爵位を継承した[1]。死後、ウェストミンスター寺院に埋葬された[3]

家族

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1722年12月13日、ルーシー・ウェルデン(Lucy Werden、1752年11月1日没、第2代準男爵サー・ジョン・ウェルデンの娘)と結婚、1男1女を儲けた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. pp. 1755–1756.
  2. ^ a b c d e f Lea, R. S. (1970). "BEAUCLERK, Charles, Earl of Burford (1696-1751)". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月13日閲覧
  3. ^ a b c Foster, Joseph, ed. (1891). "Barrowby-Benn". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 79–105.
グレートブリテン議会英語版
先代
フランシス・ロバーツ英語版
ジョン・レイ
庶民院議員(ボドミン選挙区英語版選出)
1718年 – 1722年
同職:ジョン・レイ
次代
アイザック・ル・ウー英語版
リチャード・ウェスト英語版
先代
サー・ヘンリー・アシャースト準男爵英語版
サミュエル・トレイヴァース
庶民院議員(ウィンザー選挙区英語版選出)
1722年 – 1726年
同職:インチクィン伯爵
次代
インチクィン伯爵
ヴィアー・ボークラーク卿
名誉職
先代
セント・オールバンズ公爵
バークシャー統監英語版
1727年 – 1751年
次代
セント・オールバンズ公爵
先代
カーライル伯爵
ウィンザー城管理長官及び総督英語版
1730年 – 1751年
次代
カーディガン伯爵
公職
新設官職 キャロライン王妃主馬頭英語版
1727年
次代
ポンフレート伯爵
イングランドの爵位
先代
チャールズ・ボークラーク
セント・オールバンズ公爵
1726年 – 1751年
次代
ジョージ・ボークラーク