チャールズ・オークリー
引退 | |
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ポジション | PF/C |
基本情報 | |
愛称 | Oak |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1963年12月18日(61歳) |
出身地 | オハイオ州クリーブランド |
身長(現役時) | 206cm (6 ft 9 in) |
体重(現役時) | 111kg (245 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | バージニア・ユニオン大学 |
NBAドラフト | 1985年 / 1巡目 / 全体9位[1] |
クリーブランド・キャバリアーズから指名 | |
選手経歴 | |
1985-1988 1988-1998 1998-2001 2001-2002 2002-2003 2003-2004 |
シカゴ・ブルズ ニューヨーク・ニックス トロント・ラプターズ シカゴ・ブルズ ワシントン・ウィザーズ ヒューストン・ロケッツ |
指導者経歴 | |
2010-2012 | シャーロット・ボブキャッツ (AC) |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
チャールズ・オークリー(Charles Oakley, 1963年12月18日 - )はオハイオ州クリーブランド出身のバスケットボール選手。NBAで1985年から2004年まで19シーズンプレーした[1]。身長206cm。ポジションはパワーフォワード。バージニア・ユニオン大学出身。愛称は「Oak」(カシの木)。
経歴
[編集]1985年のNBAドラフト全体9位で地元のクリーブランド・キャバリアーズに指名されるも早々に交渉権がシカゴ・ブルズへトレードされる。マイケル・ジョーダンのいたブルズではルーキーイヤーから守備、リバウンドでチームに大きく貢献。85-86年シーズンはオールルーキーチーム選出、86-87、87-88シーズンではリバウンド獲得総数でリーグトップと活躍した。
1988年、ブルズはドラフトでスコッティ・ピッペンとパワーフォワードのホーレス・グラントを獲得。更に、確固としたセンターが必要と感じたフロントの意向により、7フィートのビッグマンビル・カートライトとのトレードでニューヨーク・ニックスに移籍した。もっとも当時のGMジェリー・クラウスは、オークリーを手放したくはなかったらしく、トレード成立後の記者会見では涙ながらに会見に挑んだという。以降ニックスで10シーズンを過ごすこととなる。ニックスではパトリック・ユーイングと共同キャプテンを務め、プレーでもインサイドでユーイングの負担を減らした。そのハードワークはニューヨークのファンの心を掴み、オークリーは「ニックスのハート&ソウル」といわれる様になる。また、チームメートの信頼も厚く、ユーイングは「彼(オークリー)がチームを出たら、自分もニューヨークを去る」と公言していたほどである。バッド・ボーイズ2(デトロイトのバッドボーイズの再来)とも呼ばれ恐れられていた90年代のニックスの要として、プレイオフで黄金期のブルズを苦しめ、1994年にはNBAファイナルにも進出している。
1998年、ニックスのチームの若返りが図られてオークリーは1998年のNBAドラフトが開催された日にトロント・ラプターズへマーカス・キャンビーとのトレードで移籍した。加えてラトレル・スプリーウェルとジョン・スタークスの交換トレードも行われたため、ニューヨークでは大きな論争となった。実際当時のヘッドコーチだったジェフ・ヴァン・ガンディは、人望が厚く、地元ニューヨークの人気者だったオークリーの放出に、最後まで反対していたという。当のオークリーはヴィンス・カーター、トレイシー・マグレディという若きスター選手がいるラプターズで、頼れるベテランとして貢献。その後はブルズ、ジョーダンのいるワシントン・ウィザーズ、ユーイングがアシスタント・コーチを務めていたヒューストン・ロケッツと渡り歩き、2003-04シーズンを最後に引退した。
現役引退後、シャーロット・ボブキャッツのアシスタントコーチを務めていたが、2010年ラスベガスで暴行を受けた際の背中の怪我を理由として、2010-11シーズンを最後に退団することを表明した[2]。
キャリア・ハイライト
[編集]- オールルーキーチーム選出(86年)
- シーズン最多トータルリバウンド(86-87、87-88シーズン)
- オールスター戦出場(94年)
- オールディフェンシブ1stチーム選出(94年)
- オールディフェンシブ2ndチーム選出(98年)
- 1988年4月22日のクリーブランド戦で1試合35リバウンドを記録。以降NBAでこれを上回る数字は記録されていない。
人物
[編集]- チームの地味な役割、汚れ役を一手に引き受けるブルーワーカーの代表的な選手。その献身的なプレーは数字に表れないながらも評価が高かった。一方でダーティなプレーも辞さないスタイルから、相手選手の間ではビル・レインビアに次いで嫌われてもいた。キャリア後期はミドルレンジのジャンプシュートが上達し、ハイポストでプレイする機会が多くなった。
- マイケル・ジョーダンとは仲が良く、ジョーダンがアイザイア・トーマスたちによってNBAオールスターゲームで仲間外れにされた際に、トーマスらを公然と批判した。
脚注
[編集]- ^ “Oakley thinks he can help Magic”. オーランド・センティネル (2007年8月22日). 2012年3月19日閲覧。
- ^ “Charles Oakley: Assault led to back pain” (2011年6月4日). 2012年3月19日閲覧。
- ^ “High in the NBA”. alternet.org (2001年3月6日). 2012年3月19日閲覧。