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ジョゼ・カルロス・セホーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョゼ・カルロス・セホーン
名前
本名 ジョゼ・カルロス・セホーン
José Carlos Serrão
愛称 ゼ・カルロス (Zé Carlos)
ラテン文字 SERRÃO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1950-10-12) 1950年10月12日(74歳)
出身地 サンパウロ
選手情報
ポジション FWMF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1969-1977 ブラジルの旗 サンパウロFC
1977 ブラジルの旗 ボタフォゴ-PB
1978 ブラジルの旗 ジョインヴィレEC
1979 ブラジルの旗 ECサント・アンドレ
1979 ブラジルの旗 AAアナポリナ
1980 コロンビアの旗 ククタ・デポルティーボFC
監督歴
1983 ブラジルの旗 サンパウロFC (暫定)
1986 ブラジルの旗 サンパウロFC (代行)
1986 ブラジルの旗 サンパウロFC (暫定)
1987 ブラジルの旗 サンパウロFC (暫定)
1987 ブラジルの旗 キンゼ・デ・ピラシカーバ
1988-1989 ブラジルの旗 ECサント・アンドレ
1990-1991 ブラジルの旗 AAフランカーナ
1991 ブラジルの旗 リオ・ブランコ・ジ・アンドラダスFCポルトガル語版
1992 ブラジルの旗 キンゼ・デ・ピラシカーバ
1992 ブラジルの旗 セントラルSC
1993 ブラジルの旗 マリーリアAC
1994 ブラジルの旗 CAジュベントス
1994 ブラジルの旗 CRB
1995 ブラジルの旗 パイサンドゥSC
1995 ブラジルの旗 ロンドリーナEC
1995 ブラジルの旗 モジミリンEC
1996-1997 ブラジルの旗 AAフランカーナ
1997 ブラジルの旗 AEアラサトゥバ
1998 ブラジルの旗 リオ・ブランコ・ジ・アンドラダスFC
1999 ブラジルの旗 モジミリンEC
2000 ブラジルの旗 SCコリンチャンス・パウリスタ (U-20)
2000 ブラジルの旗 SCコリンチャンス・パウリスタ (代行)
2000 ブラジルの旗 セアラーSC
2001 ブラジルの旗 ポルトゥゲーザ・サンチスタ
2005 ブラジルの旗 グアラニFC
2005 ブラジルの旗 ウニオン・アグリーコラ・バルバレンセFC
2005-2006 ポーランドの旗 MKSポゴニ・シュチェチン
2007 ブラジルの旗 モジミリンEC
2008 ブラジルの旗 リオ・プレトEC
2008 ブラジルの旗 AAアナポリナ
2009 ブラジルの旗 セルトンジーニョFC
2010-2011 ブラジルの旗 ECサンベント
2011 ブラジルの旗 アメリカ-SP
2011 ブラジルの旗 セントラルSC
2011 ブラジルの旗 SEイタピレンセポルトガル語版
2012 日本の旗 ガンバ大阪
2012 ブラジルの旗 ADRCイカザ
2013 ブラジルの旗 サンカルロスFC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョゼ・カルロス・セホーン(José Carlos Serrão、1950年10月12日 - )は、ブラジルサンパウロ州サンパウロ出身[1]の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワードミッドフィールダー

選手時代の登録名はゼ・カルロス (Zé Carlos)[2][3]であった。

経歴

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選手時代

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選手時代はウイング[4] または左ミッドフィールダー[4]、攻撃的ミッドフィールダー[2]としてプレー。

1965年、15歳からサンパウロFCで育ち[2]、1969年から1977年までプロ選手として所属した[2]。1971年にはキンゼ・デ・ピラシカーバでもプレーした[4]。1972年2月9日にサンパウロFCで初めて試合に出場し[5]、通算261試合出場28得点[4](または267試合30得点[5])。うち全国選手権では84試合出場8得点[3]コパ・リベルタドーレスでは16試合3得点[6]1974年コパ・リベルタドーレス決勝のインデペンディエンテとの第3戦では、後半27分にPKを任されたが失敗、チームは準優勝に終わった[2][4][7]。1975年にはサンパウロ州選手権に優勝し、そのチームでセホーンはペドロ・ローシャムリシ・ラマーリョセルジーニョ・シュラッパとともに攻撃陣を形成した[2]

1977年にサンパウロを離れ、1977年にボタフォゴ-PBパライバ州選手権、1978年にジョインヴィレサンタカタリーナ州選手権に優勝した[2]。怪我もあり、1980年のコロンビアのククタでのプレーを最後に30歳で引退した[2]

サンパウロ州選抜として6試合に出場し[8]、1974年にはマリオ・ザガロ監督によってワールドカップ・西ドイツ大会ブラジル代表候補に選出されるも、怪我の為に本大会出場は叶わなかった[9]

指導者として

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引退後、古巣のサンパウロFCにコーチングスタッフとして加わり、1983年、1986年、1987年に暫定監督、1986年に監督代行を務めた[10][11]。サンパウロが9年ぶりに優勝した1986年のブラジル全国選手権では、セホーンは暫定監督として序盤3試合で指揮を執った[12]

1998年、リオ・ブランコ-MGポルトガル語版を率いてミナスジェライス州選手権モドゥーロII(2部)に優勝して昇格に導いた[13][14]

コリンチャンスの育成部門で指導にあたっていた2000年には、オズワルド・オリヴェイラに代わってコパ・ド・ブラジルでトップチームの監督代行を1試合務めた[1]

2009年、セルトンジーニョを率いてサンパウロ州選手権セリエA-2(2部)からセリエA-1(1部)へ昇格[15][16]

ポーランドのMKSポゴニ・シュチェチンでは、同国リーグにおける最初のブラジル人監督となった[17]

2011年12月26日、2012年シーズンからのJリーグガンバ大阪監督就任がクラブより発表された[18]。当初、G大阪は元日本代表呂比須ワグナーを新監督に迎えようとしたが、呂比須がJリーグの指導者資格の要件を満たさないため、呂比須の推薦によりセホーンが監督に就いた[9]。呂比須はセホーンがサンパウロのU-17監督だったころの教え子であり、彼をトップチームに推薦したのがセホーンだった[9]。招聘したG大阪強化本部長の山本浩靖が2人の立場について「あくまでもセホーンがクラブのトップ。呂比須との二頭体制には成りえない」[19]と主張したが、実際に指揮を執ったのは呂比須だった[20][21]。セホーンは、「呂比須から意見を聞かれたら、自分の考えを伝えた。ただし、最終判断を下すのは彼。私の重要な任務のひとつは、“監督”としてメディア対応をすることだった。ただ、戦術や選手交代を自分で決めたわけではないから、質問によっては答えようがないこともあった」と振り返る[9]

セホーンの談話によれば、選手補強やブラジル人のコーチングスタッフの選定についても呂比須が主導したという[9]。開幕からJ1リーグAFCチャンピオンズリーグあわせて公式戦5連敗を喫し、3月26日にセホーン、呂比須ともに解任が発表された[22]

2016年、セルトンジーニョでサンパウロ州選手権セリエA-3(3部)に優勝して昇格を決めた[13]

所属クラブ

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指導歴

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※ 特筆なき限り、役職は監督

タイトル

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クラブ

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サンパウロ
ボタフォゴ-PB
ジョインヴィレEC

指導者時代

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サンパウロ
リオ・ブランコ-MG

注釈

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  1. ^ ガンバ大阪によるプレスリリースなどでは水原三星となっているが、セホーンによれば「2000年末から2003年末まで韓国で働いたのは事実だが、サンパウロが現地に開設した少年チームで指導していたんだ。(Kリーグの)水原三星とは関係ない」[9]

出典

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  1. ^ a b Técnico: José Carlos Serrão”. AcervoSCCP. 2017年2月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Lembra dele? Marcado pela Libertadores de 74, Zé Carlos reergue o Sertãozinho-SP”. Globoesporte.com (2009年12月9日). 2009年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月1日閲覧。
  3. ^ a b São Paulo FC - All players in Brazilian Championship”. RSSSF. 2017年2月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e Zé Carlos Serrão - Que fim levou?”. Terceiro Tempo. 2017年2月2日閲覧。
  5. ^ a b Ranking histórico: Clube dos 100”. サンパウロFC (2014年12月14日). 2017年2月1日閲覧。
  6. ^ São Paulo FC - All players in Copa Libertadores”. RSSSF. 2017年2月1日閲覧。
  7. ^ Independiente gana su tercera Copa Libertadores consecutiva en tercer partido ante Sao Paulo”. Conmebol.com. 南米サッカー連盟 (2014年10月19日). 2017年2月2日閲覧。
  8. ^ Paulista A3: Certo da classificação, Serrão quer Sertãozinho campeão”. Futebol Interior. 2017年2月2日閲覧。
  9. ^ a b c d e f 沢田啓明 「元ガンバ大阪監督 ジョゼ・カルロス・セホーンの無念」 『フットボール批評』 Issue 03、カンゼン、78-82頁。
  10. ^ a b c d e Dia do Treinador: homenagem aos maiores do Tricolor”. サンパウロFC (2011年1月11日). 2017年2月2日閲覧。
  11. ^ São Paulo Futebol Clube”. RSSSF. 2017年2月2日閲覧。
  12. ^ 下薗 2015, p. 30.
  13. ^ a b Campeão da Série A3 do Paulista, Serrão analisa propostas para 2017”. Futebol Interior (2017年1月13日). 2017年2月2日閲覧。
  14. ^ Minas Gerais State League 1998 - Módulo II (Second Level)”. 2017年2月2日閲覧。
  15. ^ José Carlos Serrão é o novo treinador do Touro”. セルトンジーニョFC. 2017年2月2日閲覧。
  16. ^ São Paulo State Championship 2009 - Second Level (Série A-2)”. RSSSF. 2017年2月2日閲覧。
  17. ^ Serrão treinará time polonês só de brasileiros”. clic RBS. 2017年2月2日閲覧。
  18. ^ 2012年度 ガンバ大阪 新加入コーチングスタッフ 決定』(プレスリリース)ガンバ大阪、2011年12月26日http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=36292011年12月26日閲覧 
  19. ^ 下薗 2015, p. 33.
  20. ^ 下薗 2015, pp. 33–35.
  21. ^ 下薗 2015, pp. 43–44.
  22. ^ “ガンバ大阪 コーチングスタッフの解任ならびに新コーチングスタッフ体制の発表 ならびに強化本部長の辞任について”. ガンバ大阪オフィシャルサイト. (2012年3月26日). オリジナルの2013年6月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130627125533/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=3816 2012年3月26日閲覧。 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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