ゼ・カストロ
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
ジョゼ・エドゥアルド・ローザ・ヴァレ・イ・カストロ José Eduardo Rosa Vale e Castro | |||||
ラテン文字 | ZÉ CASTRO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ポルトガル | |||||
生年月日 | 1983年1月13日(41歳) | |||||
出身地 | コインブラ | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2004 | アカデミカB | 50 | (9) | |||
2004-2006 | アカデミカ | 54 | (1) | |||
2006-2009 | アトレティコ・マドリード | 30 | (2) | |||
2008-2009 | → デポルティーボ・ラ・コルーニャ (loan) | 29 | (1) | |||
2009-2013 | デポルティーボ・ラ・コルーニャ | 67 | (0) | |||
2013-2017 | ラージョ | 92 | (2) | |||
2017-2022 | アカデミカ | 80 | (6) | |||
通算 | 406 | (20) | ||||
代表歴 | ||||||
2004-2006 | ポルトガル U-21 | 15 | (1) | |||
2009 | ポルトガル | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ゼ・カストロ (Zé Castro) ことジョゼ・エドゥアルド・ローザ・ヴァレ・イ・カストロ(José Eduardo Rosa Vale e Castro, 1983年1月13日 - )は、ポルトガル、コインブラ出身の元サッカー選手。元ポルトガル代表である。現役時代のポジションはDF(センターバック)。
経歴
[編集]クラブ
[編集]アカデミカ
[編集]地元のアカデミカ・コインブラの下部組織で育ち、2004年10月3日のスーペル・リーガ、ジル・ヴィセンテFC戦 (2-1) で20分間プレーしてトップチームデビューした。若くして絶対的なレギュラーとなり、キャプテンにも就任した。
アトレティコ
[編集]2006年5月30日、ビッグ3(FCポルト、SLベンフィカ、スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル)との移籍交渉が不成立となった後、スペインのアトレティコ・マドリードに移籍した[1]。2006-07シーズンはパブロ・イバニェスやルイス・ペレアの負傷もあり、22試合に出場して2得点を挙げた。特に2007年1月20日のCAオサスナ戦 (1-0) では83分に決勝点を挙げている[2]。しかし、2007-08シーズンはほとんど起用されず、2008年7月7日にデポルティーボ・ラ・コルーニャに1年間の契約でレンタル移籍した。本来のレギュラーであるパブロ・アモがアキレス腱を負傷して数ヶ月間離脱していたため、2008-09シーズンのほとんどの試合に先発出場した。
デポルティーボ
[編集]シーズン終了後、デポルティーボへの完全移籍が成立[3]。しかし、2009-10シーズンはわずか1試合の出場に終わり、2010-11シーズンも出場機会を与えられなかったため後に移籍を直訴した[4]。
2011年3月7日のレアル・ソシエダ戦ではアイタミ・アルティレスが胃腸炎の発作を起こしたため、ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督はアイタミの代役として出場させようとしたが、本人はスタジアムに来てさえおらず起用することができなかった[5]。この年18位で2部に降格。DFの柱だったアルベルト・ロポ等が移籍する中でチームに留まった。2011-12シーズンは前半戦こそ控えだったが、後半戦になるとディエゴ・コレットとコンビを組むようになり、2部優勝を飾って1年で1部に戻った。しかし、2012-13シーズンはカルロス・マルチェナの加入で再び控えに回るようになった。
ラージョ
[編集]デポルティーボの2度目の降格と財政難に伴って、2013年8月29日、ラージョ・バジェカーノに1年契約で加入[6]。
アカデミカ復帰
[編集]2017年9月、アカデミカ・コインブラに1年契約で復帰した[7]。2022年4月、現役引退を表明した。
代表
[編集]アカデミカ・コインブラからデビューしてすぐにU-21ポルトガル代表に初選出された。2006年には母国開催となったUEFA U-21欧州選手権に出場し、グループリーグ3戦すべてにフル出場したが、セルビア・モンテネグロ戦 (0-2) ではオウンゴールを喫し、ポルトガルはグループリーグ敗退に終わった[8]。
2009年6月10日、エストニアとの親善試合 (0-0) でついにポルトガルA代表デビューを果たした。2010年5月10日には2010 FIFAワールドカップのメンバー候補24人に含まれたが、ペペが怪我から回復したため、カルロス・ケイロス監督はゼ・カストロを選外とした[9]。
所属クラブ
[編集]- 2002-2004 アカデミカ・コインブラB
- 2004-2006 アカデミカ・コインブラ
- 2006-2009 アトレティコ・マドリード
- 2008-2009 → デポルティーボ・ラ・コルーニャ (loan)
- 2009-2013 デポルティーボ・ラ・コルーニャ
- 2013-2017 ラージョ・バジェカーノ
- 2017-2022 アカデミカ・コインブラ
脚注
[編集]- ^ Atlético step up spending spree UEFA.com、2006年5月30日
- ^ Atlético Madrid 1-0 Osasuna ESPNsoccernet、2007年1月20日
- ^ Ze Castro signs permanent deal with Deportivo La Coruna PortuGOAL、2009年4月3日
- ^ Ze Catsro wants out of Deportivo PortuGOAL、2010年11月16日
- ^ What's going on with Ze Castro? Deportivo La Coruna fan club、2011年3月9日
- ^ Zé Castro nuevo jugador del Rayo ラージョ・バジェカーノ公式サイト、2013年8月30日
- ^ “Oficial: Zé Castro regressa a casa que bem conhece” (ポルトガル語). ZeroZero. (25 November 2017) 2017年12月20日閲覧。
- ^ Ivanović caps Portugal misery UEFA.com、2006年5月25日
- ^ “Queiroz calls Pepe in for Portugal”. FIFA.com. (2010年6月1日) 2010年6月1日閲覧。