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プリーチャー・マン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「プリーチャー・マン」
ダスティ・スプリングフィールドシングル
初出アルバム『Dusty in Memphis
B面 ジャスト・ア・リトル・ラヴィン
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 テネシー州メンフィス、アメリカン・サウンド・スタジオ(1968年9月)
ジャンル ブルー・アイド・ソウルR&B
時間
レーベル アメリカ合衆国の旗 アトランティック・レコード
イギリスの旗 フィリップス・レコード
作詞・作曲 ジョン・ハーリー
ロニー・ウィルキンズ
プロデュース ジェリー・ウェクスラー
アリフ・マーディン
トム・ダウド
チャート最高順位
ミュージックビデオ
「Son of a Preacher Man」 - YouTube
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プリーチャー・マン[注 1](原題: Son of a Preacher Man)は、ダスティ・スプリングフィールド1968年に発表した楽曲。

ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2021年版)では168位にランクされている[4]

概要

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1967年、アラバマ州マッスル・ショールズで活動していたソングライターのジョン・ハーリーとロニー・ウィルキンズはジェリー・ウェクスラーからアレサ・フランクリン用の曲の依頼を受けた。フランクリンの父親が牧師であったことを思い出した彼らは、ウィルキンズの祖父が牧師であったこともあり、すぐさま「Son of a Preacher Man」を書き上げた。曲を気に入ったウェクスラーは一旦はレコーディングを行うも、フランクリンの他の曲とそぐわなかったため彼女のバージョンはお蔵入りとなった[5]。本作品は1968年9月、全曲リズム・アンド・ブルースのアルバムを作るべくイギリスからメンフィスのアメリカン・サウンド・スタジオに来ていたダスティ・スプリングフィールドによって吹き込まれた

レジー・ヤング(ギター)、トミー・コグビル(ベース)、ジーン・クリスマン(ドラムズ)、スイート・インスピレーションズ(バッキング・ボーカル)らがレコーディングに参加した。最終的なボーカルの録音はニューヨークで行われた。

1968年11月にアメリカとイギリスでシングルA面として発表された。B面はバリー・マンシンシア・ワイルが書いた「ジャスト・ア・リトル・ラヴィン」。1969年3月発売のアルバム『Dusty in Memphis』に収録された。

1969年1月18日から1月25日にかけてビルボード・Hot 100で2週連続10位を記録した[6][7]。イギリスでは9位、カナダでは11位、オーストラリアでは6位、ニュージーランドでは4位を記録した。

カバー・バージョン

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アーティスト名 レコード・CD
1969年 メイヴィス・ステイプルズ 『Mavis Staples』
1969年 ボビー・ジェントリー Touch 'Em with Love
1969年 スキータ・デイヴィス 『Maryfrances』
1969年 ナンシー・シナトラ 『Nancy』
1969年 アイク&ティナ・ターナー 『In Person』
1970年 アレサ・フランクリン ジス・ガールズ・イン・ラヴ・ウィズ・ユー
1970年 ハニー・コーン Take Me with You
1970年 カーチャ・エプシュタイン 『Mein Leben Ist Wie Ein Lied』。ドイツ語詞[8]
1972年 ウッドペッカー 『俺のせいではないさ』
1975年 タニヤ・タッカー 『Tanya Tucker』
1991年 ジョーン・オズボーン Soul Show: Live at Delta 88
2007年 ジャン・アーデン Uncover Me
2007年 サラ・コナー Soulicious
2015年 エヴァ・キャシディ Nightbird
2017年 ダイアナ・ヴィッカーズ シングル

脚注

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注釈

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  1. ^ 1960年代に発売された日本版のシングルの表記に依る[3]

出典

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