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聖トマス大学 (フィリピン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サント・トーマス大学
Santo Tomas
モットー (英語) Truth in Charity
種別 私立大学教皇庁立大学
設立年 1611年
創立者 マニラ大司教
宗教的提携関係 カトリック
総長 Gerard Timoner III
教員数
2,164人 (2019年)
学生総数 41,554人 (2023年)
所在地 フィリピン
マニラ
北緯14度36分35秒 東経120度59分23秒 / 北緯14.60972度 東経120.98972度 / 14.60972; 120.98972座標: 北緯14度36分35秒 東経120度59分23秒 / 北緯14.60972度 東経120.98972度 / 14.60972; 120.98972
キャンパス 21.5ヘクタール
スクールカラー Gold, Black, and White[1]
     
ニックネーム タイガース
マスコット ベンガルトラ
公式サイト ust.edu.ph
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サント・トーマス大学(サント・トーマスだいがく、: the University of Santo Tomasサント・トマス大学[2][3][4]とも)は、フィリピンマニラにある私立大学。1611年、聖職者育成のためにカトリック大学として設立された。現存する大学の中ではアジア最古である[5]

歴史

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1611年4月28日、マニラ大司教により設置されたカトリック学校が起源。当初はイントラムロスの中にあったが1927年に現在地に移転した。世界最大規模のカトリック系総合大学であり、これまで3人のローマ法王が訪問している。

戦時中、旧日本軍がアメリカ統治下の(厳密には暫定政府フィリピン・コモンウェルス[6]フィリピンに侵攻占領する際、この大学には[2]イギリス人アメリカ人[3]民間人を[7][8]敵国人として収容する[3]サント・トーマス収容所: Santo Tomas Internment Camp)が設けられた。

学部

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神学、哲学(1611年) 法学(1734年) 医学(1871年) 文学(1896年) 工学(1907年) 教育、理学(1926年) 建築(1930年) 経済(1934年) 音楽(1945年) 看護(1946年) リハビリ(1974年) 芸術、体育(2000年) 会計(2005年) 観光(2009年) 情報(2014年) 法科大学院(2017年)

著名な卒業生

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対外関係

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アメリカ
カナダ
メキシコ
ブラジル
オーストラリア
ニュージーランド
タイ
マレーシア
韓国
中国
台湾
デンマーク
ドイツ
ウクライナ
イスラエル

日本における協定校

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脚注

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  1. ^ University of Santo Tomas Visual Identity Manual. (March 2019). http://secgen.ust.edu.ph/assets/visual-identity-manual-produced-march-2019_spread.pdf June 1, 2020閲覧。 
  2. ^ a b 日本のフィリピン占領期に関する史料調査フォーラム 編『日本のフィリピン占領: インタビュー記録』龍溪書舎、1994年、387頁。ISBN 978-4-8447-8370-1, 4-8447-8370-Xhttps://books.google.co.jp/books?id=DidMAQAAIAAJ&newbks=1&newbks_redir=0&printsec=frontcover&dq=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80&q=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80&hl=ja&redir_esc=y 
  3. ^ a b c 池端雪浦 編『日本占領下のフィリピン』岩波書店、1996年、355頁。ISBN 4-00-001729-2https://books.google.co.jp/books?id=8YiwAAAAIAAJ&newbks=1&newbks_redir=0&printsec=frontcover&dq=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80&q=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80&hl=ja&redir_esc=y 
  4. ^ [1]」『海外における日本語教育の現状と問題点: 海外日本語講師研修会レポート』第10巻、128頁。 
  5. ^ サント・トマス大学」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E5%A4%A7%E5%AD%A6コトバンクより2018年6月9日閲覧 
  6. ^ 谷川, 榮彦、木村, 宏恒『現代フィリピンの政治構造』アジア経済研究所、1977年、35頁https://books.google.co.jp/books?newbks=1&newbks_redir=0&redir_esc=y&hl=ja&id=zW5DAQAAIAAJ&dq=%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E7%8B%AC%E7%AB%8B+%E6%9A%AB%E5%AE%9A%E6%94%BF%E5%BA%9C&focus=searchwithinvolume&q=%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%B3%95+%E6%9A%AB%E5%AE%9A%E6%94%BF%E5%BA%9C 
  7. ^ 金ケ江, 清太郎『歩いてきた道―ヒリッピン物語―』国政社、1968年、536頁https://books.google.co.jp/books?id=ENUdAQAAMAAJ&newbks=1&newbks_redir=0&printsec=frontcover&dq=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80&q=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80&hl=ja&redir_esc=y 
  8. ^ 増田, 弘『マッカーサー フィリピン統治から日本占領へ』中公新書、2009年、283頁https://books.google.co.jp/books?id=RC40AQAAIAAJ&newbks=1&newbks_redir=0&printsec=frontcover&dq=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80&q=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80&hl=ja&redir_esc=y 

参考資料

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  • History”. University of Santo Tomas. 2014年9月21日閲覧。 (英語)

関連項目

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外部リンク

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