ゲルデルン公
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ゲルデルン伯(ドイツ語: Graf von Geldern)およびゲルデルン公(ドイツ語: Herzog von Geldern)は、中世に神聖ローマ帝国領内の低地地方北部(現在のオランダ)にあった領邦の領主である。オランダ語でヘルレ伯(オランダ語: Graaf van Gelre)およびヘルレ公(オランダ語: Hertog van Gelre)とも表記される。
歴代領主
[編集]括弧内はオランダ語読み。
ゲルデルン伯
[編集]- ヴァッセンベルク家
- ゲルハルト1世(ヘラルト1世)(1082年 - 1129年) - ヴァッセンベルク伯(3世)
- ゲルハルト2世(ヘラルト2世)(1129年 - 1131/3年)
- ハインリヒ(ヘンドリック)(1131/3年 - 1182年) - 母エルメンガルデよりズトフェン伯位を継承
- オットー1世(1182年 - 1207年)
- ゲルハルト3世(ヘラルト3世)(1207年 - 1229年)
- オットー2世(1229年 - 1271年)
- ライナルト1世(レイナウト1世)(1271年 - 1318年) - 妻リンブルフ女公イルムガルトの権利によりリンブルフ公(1279年 - 1283年)
- ライナルト2世(レイナウト2世)(1318年 - 1339年)
ゲルデルン公
[編集]- ヴァッセンベルク家
- ライナルト2世(レイナウト2世)(1339年 - 1343年)
- ライナルト3世(レイナウト3世)(1343年 - 1361年)
- エドゥアルト(1361年 - 1371年)
- ユーリヒ=ハインバッハ家
- ヴィルヘルム1世(ウィレム1世)(1379年 - 1402年) - ユーリヒ公(3世)(1393年 - 1402年)
- ライナルト4世(レイナウト4世)(1402年 - 1423年) - ユーリヒ公(6世)(1402年 - 1423年)
- エフモント家
- カール(カレル)(1473年 - 1477年)
- エフモント家
- ヴァロワ=ブルゴーニュ家
- エフモント家
- カレル(1492年 - 1538年)
- クレーフェ家
- ヴィルヘルム2世(ウィレム2世)(1538年 - 1543年)
1543年のヴェンロー条約により、公領は神聖ローマ皇帝カール5世のものとなり、ハプスブルク家の所領となった。
系図
[編集]ゲルハルト1世 ヴァッセンベルク伯 1021-1032 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゲルハルト2世 ヴァッセンベルク伯 1035-1082 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ3世 (?-1075) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゲルハルト1世 ゲルデルン伯 | クレマンス (アキテーヌ公ギヨーム7世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゲルハルト2世 ゲルデルン伯 | エルメンガルデ ズトフェン女伯 (ズトフェン伯オットー2世娘) | コンラート2世 ルクセンブルク伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ ゲルデルン伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イド ブローニュ女伯 (ブローニュ女伯マリー娘) | ゲルハルト (?-1182) | オットー1世 ゲルデルン伯 | リヒャルデ (バイエルン公オットー1世娘) | アグネス =ルクセンブルク伯ハインリヒ4世 | マルガレーテ (?-c.1195) =ベルク伯エンゲルベルト1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ (?-1198) | ゲルハルト3世 ゲルデルン伯 | マルガレーテ (ブラバント公アンリ1世娘) | アーデルハイト (1190-1218) =ホラント伯ウィレム1世 | マティルデ =ナッサウ伯ハインリヒ2世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オットー2世 ゲルデルン伯 | ハインリヒ リエージュ司教 | リヒャルデ =ユーリヒ伯ヴィルヘルム4世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イルムガルト リンブルフ女公 | ライナルト1世 ゲルデルン伯 リンブルフ公 | マルガレーテ (フランドル伯ギー娘) | エリーザベト =ベルク伯アドルフ8世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ライナルト2世 ゲルデルン伯 ゲルデルン公 | エリナー (イングランド王エドワード2世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マティルデ 1=ゴットフリート・フォン・ローン=ハインズベルク 2=クレーフェ伯ヨハン 3=ブロワ伯ジャン2世 | ヴィルヘルム2世 ユーリヒ公 | マリア | ライナルト3世 ゲルデルン公 | マリー (ブラバント公ジャン3世娘) | エドゥアルト ゲルデルン公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィルヘルム1世 ゲルデルン公 ユーリヒ公(3世) | ライナルト4世 ゲルデルン公 ユーリヒ公 | ヨハンナ | ヤン5世 アルケル領主 (?-1428) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリア | ヤン2世 エフモント伯 1423-1451 | マリー | アドルフ1世 クレーフェ公・マルク伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリップ3世 ブルゴーニュ公 | シャルル1世 ブルボン公 | アルノルト ゲルデルン公 | カタリーナ | ヨハン1世 クレーフェ公・マルク伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャルル ブルゴーニュ公 ゲルデルン公 | イザベル | カトリーヌ | アドルフ ゲルデルン公 | カタリーナ ゲルデルン公領摂政 | ヨハン2世 クレーフェ公・マルク伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリー ブルゴーニュ女公 ゲルデルン女公 | マクシミリアン1世 神聖ローマ皇帝 | フィリッパ =ロレーヌ公ルネ2世 | カレル ゲルデルン公 | ヨハン3世 ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公 | マリア (ユーリヒ=ベルク公ヴィルヘルム3世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリップ カスティーリャ王 ゲルデルン公 | ヴィルヘルム2世 ゲルデルン公 ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公(5世) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カール5世 神聖ローマ皇帝 | ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハプスブルク家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年
- 森田安一 編 『新版 世界各国史14 スイス・ベネルクス史』 山川出版社、1998年