ジョン・オーエン・ガントレット
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(ガントレット事件から転送)
人物情報 | |
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生誕 | 1907年 |
死没 | 1988年 |
学問 | |
研究分野 | 英語学 |
研究機関 | 青山学院大学・横浜専門学校 |
最高裁判所判例 | |
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事件名 | 国籍不存在確認請求 |
事件番号 | 昭和25(オ)206 |
1956年(昭和31年)7月18日 | |
判例集 | 民集 第10巻7号890頁 |
裁判要旨 | |
内務大臣が認定を誤り旧国籍法第七条第二項第五号に反して帰化を許可しても、その許可は無効ではない。 | |
最高裁判所大法廷 | |
裁判長 | 田中耕太郎 |
陪席裁判官 | 栗山茂・真野毅・小谷勝重・島保・斎藤悠輔・岩松三郎・谷村唯一郎・小林俊三・本村善太郎・入江俊郎・池田克・垂水克己 |
意見 | |
多数意見 | 真野毅・島保・岩松三郎・小林俊三・入江俊郎・池田克・垂水克己 |
意見 | なし |
反対意見 | 田中耕太郎・栗山茂・小谷勝重・斎藤悠輔・谷村唯一郎・本村善太郎 |
参照法条 | |
旧国籍法(明治33年法律66号)7条 |
ジョン・オーエン・ガントレット(John Owen Gauntlett、1907年 - 1988年)は、イギリス(ウェールズ)人エドワード・ガントレットと山田耕作の実姉ツネとの間の長男で、語学者。フルート奏者[1]。
経歴
[編集]青山学院大学、また神奈川県の横浜専門学校(現:神奈川大学)では1935年より兼任講師、として英語を教えたとされる。1937年高千穂高等商業学校(現高千穂大学)においても英語講師であった。戦後、進駐軍の教育部に技術顧問として勤務する。英語に関する著書多数。法学上は、太平洋戦争中に、強迫を受けて無理矢理帰化申請を行って許可されたが、戦後にその許可について無効であると主張し、日本国を被告に日本国籍不存在確認訴訟を提起した(ガントレット事件(最大判昭和31年7月18日)が有名である。
フルート奏者でもあり、「日本フルート協会」設立時(1966年8月)には副会長をつとめた。
脚注
[編集]- ^ 丹下聡子「村松孝一研究 (1) : ベーム式フルート製作の始まり : 明治期から昭和初期における国内の楽器情況」『愛知県立芸術大学紀要』第45巻、愛知県立芸術大学、2015年、151-164頁、CRID 1390290699871843584、doi:10.34476/00000513、ISSN 0389-8369。
外部リンク
[編集]- ガントレット,G.E.L 歴史が眠る多磨霊園
- ガントレット(おかやま人物往来) - 岡山県立図書館