エドワード・ダンロップ
エドワード・ダンロップ | |
---|---|
2010年エリザベス女王杯表彰式 | |
基本情報 | |
国籍 | イギリス |
生年月日 | 1968年10月20日(56歳) |
初免許年 | 1994年 |
経歴 |
エドワード・アレクサンダー・リーパー・ダンロップ(Edward Alexander Leeper Dunlop、1968年10月20日 - )は、イギリスの競走馬の調教師。通称エド(Ed)[1]。父は調教師のジョン・ダンロップ。
来歴
[編集]ニッキー・ヘンダーソン厩舎の調教助手を3年間務めた後、アレックス・スコット厩舎の調教助手となる。1994年、スコットが元従業員に射殺されたため、エドワードはマクトゥーム・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームのバックアップを受けて厩舎を引き継ぎ、開業した[2]。
1996年、5月12日にターリブ(Ta Rib)でプール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)を勝ち、G1初制覇。9月7日、イクタマル(Iktamal)でスプリントカップを勝ち、イギリスG1初制覇。
2004年、ウィジャボード(Ouija Board)がブリーダーズカップ・フィリー&メアターフなどG1を3勝。同馬はカルティエ賞年度代表馬・最優秀3歳牝馬、エクリプス賞最優秀芝牝馬に選ばれた。
2005年、11月27日のジャパンカップにウィジャボードが出走。管理馬の日本初出走を果たす。レースは日本レコードの2分22秒1というタイムで決着し、ウィジャボードは勝ったアルカセット(Alkaased)から0.3秒差の5着に敗れた。次走、12月11日の香港ヴァーズには勝利し、香港G1初制覇を果たした。これが7ヶ国目のG1制覇である。
2006年、ウィジャボードが再びブリーダーズカップ・フィリー&メアターフなどG1・3勝を挙げ、カルティエ賞年度代表馬・最優秀古馬牝馬、エクリプス賞最優秀芝牝馬に選ばれた。
2010年、11月14日にスノーフェアリー(Snow Fairy)でエリザベス女王杯を優勝。日本での初勝利と共に8ヶ国目のG1制覇を果たしたが、その後検量を、調教助手が馬装具の一部を外して行っていたことが発覚し、11月17日に日本中央競馬会より厳重注意処分を受けた[3]。
2011年、11月13日にスノーフェアリーでエリザベス女王杯を連覇。1頭の外国馬が日本の平地GIを2勝したのはこれが初めてのことである。
2012年、8月19日にスノーフェアリーでジャンロマネ賞を優勝。しかしその後の薬物検査で禁止薬物が検出されたため、スノーフェアリーは失格となった[4]。
ウィジャボードを初め活躍馬に牝馬が多く、牝馬クラシックでは4頭で6勝を挙げているのに対し、牡馬クラシックではまだ1勝もしていない。
主な勝ち鞍
[編集]イギリス
[編集]- オークス(2004年Ouija Board、2010年Snow Fairy)
- サセックスステークス(2005年Court Masterpiece)
- スプリントカップ(1996年Iktamal)
- ナッソーステークス(2001年Lailani、2006年Ouija Board)
- プリンスオブウェールズステークス(2006年Ouija Board)
- ゴールドカップ (2015年 Trip To Paris)
その他
[編集]- アイリッシュオークス(2001年Lailani、2004年Ouija Board、2010年Snow Fairy)
- アイリッシュチャンピオンステークス(2012年Snow Fairy)
- エリザベス女王杯(2010年・2011年Snow Fairy)
- プール・デッセ・デ・プーリッシュ(1996年Ta Rib)
- フォレ賞(2005年Court Masterpiece)
- フラワーボウルインビテーショナルステークス(2001年Lailani)
- ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフ(2004年・2006年Ouija Board)
- 香港ヴァーズ(2005年Ouija Board、2012年Red Cadeaux)
- 香港カップ(2010年Snow Fairy)
脚注
[編集]- ^ エリザベス女王杯出走予定外国馬プロフィール2010-11-09閲覧
- ^ 「週刊競馬ブック」2011年2月6日号 p.196
- ^ 前例なし…スノーフェアリー関係者に「厳重注意」(競馬) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース 2010-11-18閲覧
- ^ スノーフェアリー、禁止薬物検出で仏G1失格:競馬:スポーツ報知 2012-12-06閲覧