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エドアルド・ナヘラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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エドアルド・ナヘラ
Eduardo Najera
ダラス・マーベリックス
ポジション SF
役職 スカウト
基本情報
スペイン語 Eduardo Alonso Nájera Pérez
国籍 メキシコの旗 メキシコ
生年月日 (1976-07-11) 1976年7月11日(48歳)
出身地 チワワ州の旗 チワワ州チワワ
身長(現役時) 203cm (6 ft 8 in)
体重(現役時) 99.8kg (220 lb)
キャリア情報
出身 オクラホマ大学
ドラフト 2000年 2巡目 38位  HOU 
選手経歴
2000-2004
2004-2005
2005-2008
2008-2010
2010
2010-2012
ダラス・マーベリックス ダラス・マーベリックス
ゴールデンステート・ウォリアーズ ゴールデンステート・ウォリアーズ
デンバー・ナゲッツ デンバー・ナゲッツ
ニュージャージー・ネッツ ニュージャージー・ネッツ
ダラス・マーベリックス ダラス・マーベリックス
シャーロット・ボブキャッツ シャーロット・ボブキャッツ
指導者経歴
2012-2015
2015-
テキサス・レジェンズ (Dリーグ)
ダラス・マーベリックス (スカウト)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ メキシコの旗 メキシコ 2003年
ニュージャージー・ネッツ時代のナヘラ

エドゥアルド・ナヘラEduardo Najera)ことエドゥアルド・アロンソ・ナヘラ・ペレスEduardo Alonso Nájera Pérez1976年7月11日 - )は、メキシコチワワ州チワワ出身の元バスケットボール選手。現在はダラス・マーベリックスのスカウトを務めている。現役時のポジションはスモールフォワード。身長203cm、体重100kg。

経歴

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学生時代

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テキサス州サンアントニオのコーナーストーンクリスチャン高校でプレイし、24.8得点15.4リバウンドの成績で州のオールファーストチームに選ばれた。

卒業後、オクラホマ大学に進学し、チームの中心選手として活躍。3年目には15.5得点、8.3リバウンドの成績で、AP通信選出のオールアメリカサードチームに選ばれ、NCAAトーナメントではエリート8まで勝ち進んだ。3年間のプレイで通算リバウンド数、スティール数、ブロック数など9つの部門で、同校記録のトップ10入りを果たした。

1997年夏季ユニバーシアード1999年夏季ユニバーシアードメキシコ代表として出場。1999年には、20.1得点6.8リバウンドの成績を残し、チームを第4位に導いた[1]

NBA

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2000年のNBAドラフトにアーリーエントリーしたナヘラは、ヒューストン・ロケッツから2巡目38位指名を受け、メキシコ生まれの選手としては1996-97シーズンフェニックス・サンズでプレーしたオラシオ・リアマス以来、史上2人目のNBAプレイヤーとなった[1][2]。ドラフト直後のトレードでダラス・マーベリックスに権利が移り、マブスの一員としてルーキーシーズンを迎えた[1]。1年目の2000-01シーズンは3.3得点2.4リバウンドの成績だった。

NBAでのキャリアをスタートしたと同時に、怪我との戦いも始まった。1年目から右鼠径部の故障が原因で29試合を欠場し、その後もマブスに在籍した4シーズンの間に、シーズン60試合以上出場を果たしたのは1シーズンのみだった。

2004年8月24日、ルイス・アルベルト・フローレスクリスチャン・レイトナームラデン・セクララッチ、複数のドラフト1巡指名権と共に、エリック・ダンピアーダン・ディッカウエバン・エシュメイヤースティーブ・ローガンとの引き換えでゴールデンステート・ウォリアーズに移籍した[3]。2005年2月24日、ルイス・フローレス、ドラフト1巡目指名権と共にニコロス・ツキティシュビリロドニー・ホワイトとの引き換えでデンバー・ナゲッツに移籍した。

2006年にはメキシコのモンテレイで行われたエキシビション、ナゲッツ対ウォリアーズの試合に出場した。

2006年4月27日、チームに悪影響を及ぼすとして出場停止処分を受けたケニオン・マーティンに代わり、ロサンゼルス・クリッパーズとのプレーオフ1回戦第3戦に先発出場した。

ナゲッツでも怪我に悩まされたが、ネネイケニオン・マーティンなどが次々とシーズンをほぼ全欠する怪我を負ったため、ナヘラはフォワード陣の穴を埋めるべく怪我を抱えながらもコートに立ち続け、06-07シーズンは自身最多の75試合に出場した。この年12月のニューヨーク・ニックスとの乱闘の際、直接乱闘をした選手ではなく、両軍の選手を引き離そうとしたが退場となった。

2008年7月11日、ニュージャージー・ネッツと4年間1200万ドルの契約を結んだ[4]

2010年1月11日、クリス・ハンフリーズショーン・ウィリアムズとの引き換えで古巣のダラス・マーベリックスに移籍した[5]。同年7月13日、エリック・ダンピアーマット・キャロルと共にタイソン・チャンドラーアレクシス・アジンサとの引き換えでシャーロット・ボブキャッツに放出された[6]。ボブキャッツでは、2シーズンプレイした後に現役を引退した。

引退後

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現役を引退した同年2012年、かつて所属していたマーベリックスからの要望で、マーベリックス傘下のDリーグチーム、テキサス・レジェンズのヘッドコーチに就任した。

プレイスタイル

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数字上の成績は地味ながらも、ダーティワークを一手に引き受け、リバウンド争いにも果敢に飛び込む名バックアッププレイヤー。チームに対する献身的なプレイとチームを活気付けるハッスルプレイは、ヘッドコーチ、チームメイトのみならず、ファンからも厚い信頼を得ている。

脚注

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  1. ^ a b c Meet Eduardo Najera”. nba.com. 2011年6月22日閲覧。
  2. ^ Bio Page”. nba.com. 2011年6月22日閲覧。
  3. ^ Warriors And Dallas Consummate Eight-Player Trade”. nba.com (2004年8月24日). 2011年6月22日閲覧。
  4. ^ Nets Reach Agreements With Eduardo Najera and Jarvis Hayes”. nba.com (2008年7月11日). 2011年6月22日閲覧。
  5. ^ MAVERICKS ACQUIRE FORWARD EDUARDO NAJERA”. nba.com (2010年1月11日). 2011年6月22日閲覧。
  6. ^ MAVERICKS ACQUIRE CHANDLER AND AJINCA IN FIVE-PLAYER TRADE”. nba.com (2010年7月13日). 2011年6月22日閲覧。

外部リンク

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