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アントワーヌ1世 (モナコ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アントワーヌ1世
Antoine I
モナコ公
在位 1701年1731年

出生 (1661-01-25) 1661年1月25日
死去 (1731-02-20) 1731年2月20日(70歳没)
配偶者 マリー・ド・ロレーヌ
子女 カトリーヌ=シャルロット
ルイーズ=イポリット
エリザベート=シャルロット
マルグリット・カミラ
マリー・デヴォタ
マリー=ポーリーヌ
家名 グリマルディ家
父親 モナコ公ルイ1世
母親 カトリーヌ・シャルロット・ド・グラモン
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アントワーヌ1世Antoine I, 1661年1月25日1731年2月20日)は、モナコ[1](在位 : 1701年1731年)。ルイ1世カトリーヌ・シャルロット・ド・グラモンの長男。

生涯

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1683年、フランス王立歩兵連隊の中尉に任命された。1684年には大佐となる。大同盟戦争の間、アントワーヌは フィリップスブルク包囲戦(1688年)、フルーリュスの戦い(1690年)、モンス包囲戦(1691年)、ナミュール包囲戦(1692年)に参戦していた。

1701年に即位してモナコ大公となったアントワーヌは1702年8月21日にフランス貴族のヴァランティノワ公 (Duc de Valentinoisとして高等法院ルイ14世に臣従の誓いを行った。1724年には騎士に叙せられている。

アントワーヌは1688年6月13日にアルマニャック伯ルイの四女マリー・ド・ロレーヌと結婚して6女を儲けたが、男子がいなかったためルイ14世から許可をとって二女ルイーズ=イポリット(長女は早世)を次期大公と決めた。

子女

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マリーとの間に6女を儲けたが、成人したのは2人だけだった。

  • カトリーヌ=シャルロット(1691年 - 1696年)
  • ルイーズ=イポリット(1697年 - 1731年) - モナコ大公
  • エリザベート=シャルロット(1698年 - 1702年)
  • マルグリット・カミラ(1700年 - 1758年)
  • マリー・デヴォタ(1702年 - 1703年)
  • マリー=ポーリーヌ(1708年 - 1726年)

その他にも数人の女性との間に庶子がいた。その一人アントワーヌ(1697年 - 1784年)は50年以上にわたりモナコの摂政を務めた。

引用・脚注

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  1. ^ モナコ公国(Principality of Monaco) 基礎データ”. 日本国外務省 Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2020年2月10日閲覧。
先代
ルイ1世
モナコ公
1701年 – 1731年
次代
ルイーズ=イポリット