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アリックス・ド・トゥアール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリックス・ド・トゥアール
Alix de Thouars
ブルターニュ女公
在位 1203年 - 1221年

出生 1200年
ブルターニュ公国
死去 1221年10月21日
埋葬 ブルターニュ公国、ノートルダム・ド・ヴィルヌーヴ修道院
配偶者 ピエール・ド・ドルー
子女 ジャン1世
ヨランド
アルテュール
家名 トゥアール家
父親 ギー・ド・トゥアール
母親 ブルターニュ女公コンスタンス
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アリックス・ド・トゥアールとその娘ヨランドの墓碑

アリックス・ド・トゥアールAlix de Thouars1200年頃 - 1221年10月21日)は、ブルターニュ女公(在位:1203年 - 1221年)、リッチモンド女伯(在位:同)。

生涯

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ブルターニュ女公コンスタンスと、ブルターニュ総督であるその夫ギー・ド・トゥアールの長女として生まれた。ブルターニュ公女アリエノール(エレノア)は異父姉、ブルターニュ公でイングランドジョン(欠地王)に殺害されたアルテュール1世(アーサー)は異父兄にあたる。1201年にコンスタンスは次女カトリーヌを出産し急逝した。

最初パンティエーヴル伯アンリ2世・ド・アヴォグールと婚約したが、フランス王フィリップ2世の介入によって解消し、カペー家の傍系ドルー伯の次男であるピエール・ド・ドルーと結婚した。1213年よりピエールはブルターニュ摂政の称号を与えられた。ピエールとの間に以下の3子をもうけた。

異父兄アーサーの後を継いでブルターニュ女公、リッチモンド女伯となったが、一方で異父姉エレノアもリッチモンド女伯を名乗り続けていた。アリックスは1203年から死去までリッチモンド女伯位を用いた。

アリックスは1221年に亡くなり、1225年に母コンスタンスと同じナント近郊のノートルダム・ド・ヴィルヌーヴ修道院に埋葬された。

先代
アルテュール1世
ブルターニュ
1203年 - 1221年
次代
ジャン1世